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2004年12月30日

国会での質問・意見表明16回(自民党議員中最多)

国会での質問・発言に関しては、実は自民党議員から不満がある。

参院法務委員会で答弁席に

すなわち、国会(委員会)の質問時間は、法案の審議をスムーズにし、かつ、野党議員にも花を持たせるため、多くの委員会で、自民党が1時間質問すれば、民主党には4時間割り振られるのが通例。

もっとも自民党議員の場合、国会提出前の法律・予算の素案について、党の事前審査の過程で発言できる。

そして、素案の段階故、その発言のために修正が行われたりする(法案等が国会に提出された後の修正は極めて難しい。その意味で、国会での正規の質問は、儀式の側面もある。)。

もっとも、そうは言っても、議員一人当たり質問時間(回数)が与野党6倍というアンバランスは、やはり問題。

ただ、私自身に関して言えば、今年は、自民党の中で、破格の機会を与えていただいたことを感謝している。

2004年12月21日

予算案内示の報告を受ける総務部会(H16.12.21)

自民党総務部会で、予算案内示の報告を受ける。税制・予算の季節は、このような会議が連日開催されるた。この写真で雰囲気を知っていただけたらと思う。参加者も多く、特に税制調査会では、発言者に指名されるためには、とにかく元気良く手を挙げることが求められる。

2004年12月3日

国会への通勤生活~臨時国会終了日に思う

今日で秋の臨時国会が終わった。

臨時国会中は、国会日誌を見ていただいても分かるように、早朝常磐線で出勤、昼間は来客会議、役所の方のレク(最近は、報告よりも相談が多くなった。)、夜は会合、深夜取手の自宅に帰宅で、昼飯を食べる間もなかったような印象がある。

深夜取手に帰るために乗る常磐線は、取手のちょっと手前の千葉県柏駅か我孫子駅までは座れない。

2004年12月1日

文部科学委員会で初質問(H16.12.1)

文部科学委員会で、中山大臣に対し初質問。警察庁少年課での経験に基づき、奈良での小1殺害事件などを踏まえ、子供を小児性愛者の魔手から守る対策、さらには、フリーター対策、幼保一元化問題等について質問。

2004年11月19日

自民党青年局で中越地震支援街頭募金(H16.11.19)

自民党青年局主催の中越地震支援街頭募金活動に参加。小雨の降る中、被災者支援のために声をからす。

2004年11月12日

中越地震、治水対策、TX等について質問(H16.11.12)

11月12日の国土交通委員会で、本年の地震・台風等を受け、地震対策や治水対策について質問。さらに、茨城県関係では、つくばエクスプレスを早期に開業させ、東京駅への延伸を前向きに検討することなどを要請。

2004年11月11日

中曽根・宮沢両元総理が公述人に(H16.11.11)

11月11日の衆院憲法調査会は、中曽根元総理、宮沢元総理及び武村元蔵相を公述人として招く。元総理の発言にはやはり重みがある。会議開催前に、中曽根元総理から、「葉梨君の先の意見表明(10月21日)の議事録は参考になった。」と声をかけられる。写真は他の活動写真と同様、葉梨康弘が携帯で写す。

2004年11月2日

列国議会同盟(IPU)に参加(2)~是非広げたい議員同士の人間関係

列国議会同盟の会議場では、各国の議員同士でいろいろ話をする。
平和と安全保障委員会の私の発言後、JAPANとITALYで隣席になったイタリアのアンドレオッティ元首相には、「グッドスピーチ」とほめていただいた。

また、同じアジア同志のよしみで、私が大使館員をしていたインドネシアの議員団や、食事をともにした韓国の議員団とは良く話をした。

聞いてみて改めて痛感したが、各国とも、この1~2年で、議員が大幅に入れ替わり、しかも若返っている。

インドネシアの代表団は、4月の総選挙で、7割が新人議員になり、10月から初の国会開催と言うことで、IPUの後半の総会を待たずに、そそくさと帰国してしまった。

韓国の代表団と懇談していたら、こちらもやはり4月の総選挙で、5割以上が新人議員になり、大いに若返ったとのこと。

2004年11月1日

列国議会同盟(IPU)に参加(1)~結構ハードな国際会議

平成16年9月28日から10月2日までの間、世界の国会議員により構成される唯一の国際機関である列国議会同盟(本部・ジュネーブ、約140か国)総会に参加してきた(筆無精でご報告が遅れたことをお詫びいたします。)。
さて、列国議会同盟総会は年に2回開かれる。春の総会は各国回り持ちで、比較的派手に開催されるが、秋の総会は、毎年本部のあるジュネーブで、実務的に開催され、参加人員も春に比べると少ない。
私が参加したのは秋の大会の方、日本からは、瓦力元建設大臣を団長に、国際通議員が衆参で7名(自民党4、民主党3)参加した。実のところ、この手の国際会議の出張は、結構ハードで、今回も次のような強行日程だった。
9月26日昼に成田発、深夜に、ジュネーブ着。

2004年11月1日

インドネシア・バリ州警察長官の表敬を受ける(H116.11.1)

インドネシア駐在時代に旧知のインドネシア・バリ(正確にはヌサトゥンガラ)州警察長官の表敬を受ける。テロ対策や経済再生について、ユドヨノ新大統領の手腕への期待を述べるとともに、在留邦人や邦人旅行者の安全確保等を要請した。会話は通訳を介さずインドネシア語で。