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令和元年12月20日、令和2年度予算が閣議決定された。
その中で、新規の施策として、「水田農業の高収益化の推進」という新規項目が盛り込まれた。
これは、水田農業の規模拡大を推し進める一方で、水田地帯の農村にも、施設園芸やレンコンなど、高収益作物による営農活動を奨励し、水田地帯であっても、農業に従事する人口を減少させないようにする施策だ。
これは、この夏の概算要求前に、私自身が、農林役員会等の場で提案し、新たに予算化したものだ。
このような施策を推進しなければならなくなった背景には、米作だけでは、農家が収入を得られなくなってきたという事情がある。
(農家はどれくらいの水田を耕作すれば食べていけるか)
我が国の高度成長が始まる以前は、我が国の農家数550~600万戸という数字は、ほぼ変わることはなかった。 農家の多くは水田農家で、当時、1戸当たりの平均作付け面積は、1.1ヘクタール程度、半数は専業農家だった。
ただ、かつては、まあそれでも食べていけた。
今から約60年前の昭和34年、玄米60キロ(1俵)の政府買い取り価格は3,886円(玄米3等)だった。(当時は、食糧管理法により、政府が米を全量買い入れていた。)
ちなみにこの年の大卒初任給は11,297円で、現在(平成30年)の210,200円に置き換えると、貨幣価値は18.6分の1という計算になるので、当時の米1俵の値段は、72,280円に相当することになる。(平成30年の米1俵の値段は全銘柄平均で15,716円)
米がいかに高級品であったかが分かる。
そして、全国平均で、米は10アール当たり8俵とれるので、昭和34年当時の水田農家は、1.1ヘクタール耕作すれば636万円の売上げで、利益を半分程度とみても月27万円の所得、これに裏作等の収益や場合によっては兼業収入を加えれば、まあ食べていけた。
(水田農家の利益の縮小)
ただ、水田農家の懐具合は、平成に入り急激に寂しくなる。
バブル経済が崩壊した平成2年、米価は1俵当たり21,600円、大卒初任給は約17万円だった。
先に述べた平成30年の数字と比べると、平成の時代、米価が約3割下落した一方、給与は、約1.24倍になった。
ざっくり言えば、コストの方は上がっているが、売り上げの方は下がっているということで、水田農家の利益は、大幅に縮小することとなった。(昭和末期から平成初めにかけて、食糧管理法による生産者米価の算定が見直され、さらに平成7年に同法自体が廃止されたことも影響していると思われる。)
例えば、平成2年当時、コスト(物件費)1万800円、農家の人件費(所得)1万800円と計算されていたと仮定し、平成30ねんまでに、コストが大卒初任給の上昇程度に値上がりしたと想定すれば、平成30年のコストは1万3392円となるので、平成30年における農家の所得は、米1俵当たり2,324円と、平成2年の1万800円と比べると、大幅に減少してしまう計算だ。
このように、米の売り上げに農家の所得が占める率は、最近急激に低下し、水田農家が、米作専業で、他産業並の所得を得るためには、1戸で約20ヘクタール耕作しなければならないと言われるまでになってきている。
(水田地帯から農家がいなくなることを防がなければ)
米価下落の理由は、米の消費の低迷にあるわけだが、農政サイドでも、ある程度の米価安定策は講じてきた。
平成30年の15,716円という価格は、詳しくは述べないが、飼料用米など各種の施策の組み合わせで保たれている価格であると言っていえなくもない。ただいずれにせよ、かつてのような水準に米価を引き上げることは不可能だ。
平均的に見ると、米作地帯の農村が余り元気がないのは、こういった理由による。
実際、戦後すぐの時期には、60ヘクタールの水田があれば、55戸の集落が生活できた。しかし今は、3戸の担い手に水田の耕作を集中すれば、当該3戸は農業で食べていけるが、後の52戸はどうするのか。
農村機能自体が崩壊してしまったら、担い手の皆さんにしたって、生活はやっていけまい。
そこで冒頭述べた、「水田農業の高収益化の推進」ということになるわけだ。
例えば、水田地帯であっても、施設園芸(花き、いちご等々)であれば、少ない面積で売り上げをあげることができる。レンコンなども同様だ。
私が提案したのは、60ヘクタールの水田があれば、例えば40ヘクタールを2戸の担い手に集約し、残りの20ヘクタールを高収益作物に転換、その場合の施設整備や土地改良等には公的な手厚い支援を行い、数十戸を農家として、農村に定着させようという計画だ。
もとより、作付ける作物の種類や営農のあり方は、地域によって様々と思うが、このような取り組みが、地域の実情に応じて、全国に広がっていくことを期待したい。
10月4日、第200回国会が召集され、私は法務委員長を退任、新たに、党にあっては自由民主党副幹事長、国会にあっては、予算委員会理事と法務委員会の筆頭理事を務めることとなりました。10月10日の全閣僚出席の予算委員会では、政務調査会を代表しての岸田文雄政調会長・小渕優子政調会長代理の質問の後、私が、党執行部・幹事長室を代表して質問に立つこととなります(現在の予定では、午前10時40分頃から40分間と聞いています。)。皆様には、今後とも、ご指導ご鞭撻を賜れれば幸に存じます。
東京での台風被害対策会議の後は、地元取手市での「いきいき茨城夢国体・ボウリング競技のトロフィー返還式」に参加。全国から来られた選手・役員の皆様に、茨城県ボウリング連盟会長として、歓迎の言葉を述べる。
10月1日8時半から、主に茨城・千葉に甚大な被害をもたらした台風15号等に係る農林水産被害対策の会合(農林・食料戦略調査会、農林部会合同会議)が、党本部で開催された。その前日の役員会でも意見を述べさせていただいたが、応急的な措置は勿論のこと、今後も大規模な災害の発生が予想される中、鳥瞰的に災害被害対策のメニューを策定し、あらかじめ地方自治体や農家に周知させていくことも必要と思う。
国民体育大会の自転車競技は、9月29日のつくば市でのロード競技、10月1日からの取手市でのトラック競技が開催される。この日は、茨城県自転車競技連盟の会長として、各都道府県から来訪された競技大会役員の皆様に対し、歓迎の挨拶。翌日からのトラック競技での健闘を祈る。
税理士による葉梨康弘後援会で、1時間ほど講演。我が国の人口が急激に減少する中、社会保障の在り方をどうすべきか、外国人も含めた人材確保方策をどうすべきか等について、私たちの考え方を述べる。我が国の合計特殊出生率は、平成元年の1.57が、平成18年には1.26まで下がり、その後は上昇に転じ、昨年は1.43。(この3年間は下がり気味だが)フランスやスウェーデンが、1.4まで下がった出生率を現在は2.0程度まで回復させていることを考えると、決してあきらめる必要はない。
この日、天皇皇后両陛下のご臨席を賜り、「天皇陛下ご即位記念・第74回いきいき茨城夢国体」の総合開会式が盛大に開催され、私も役員として参列、感動を共にした。写真は、地元茨城の役員・選手団の行進と全国から集まった選手の皆様。この開会式で、私たちは、未来に向けた国造りへの決意を新たにした。
私は、地元のエアロビック連盟の顧問を務めているが、国会のエアロビック議連のメンバーでもある。この日は、地元取手市で、国体デモンストレーション競技・エアロビック競技大会の開会式。茨城県協会の宮本真理子理事長を初めとした関係者のご労苦に感謝を述べるとともに、令和の御代になって初めてのこの国体で、楽しみながら、エアロビックを盛り上げて頂きたいと挨拶。その後、演技も見させていただく。
天皇陛下ご即位記念・第74回茨城いきいき夢国体は、9月28日の開会式を前に、既に始まっている。私は、9月7・8日に稲敷市で開催されたトランポリン競技を、茨城県トランポリン協会の前会長として応援させて頂いた。この日は、10年来県南連盟の顧問を務めるダンススポーツのデモンストレーション競技。デモンストレーション競技とはいえ、遠くは九州からのご参加を頂いた。是非正式種目に向け、はずみをつける大会となって欲しいと挨拶。その後、観客として参加させて頂いたが、特にA級は見応えがあった。
この日、江藤農林水産大臣(写真左から2人目)に対し、JA茨城県中央会の佐野会長(写真左)とともに要請活動。台風15号は、千葉県だけでなく、茨城県にも甚大な被害をもたらした。これへの対応は、迅速さが求められる短期的な対応(ハウスの再建と営農再開等)と、制度的な対応が必要な対策(飼料用米の脱粒への対応)があるが、いずれについても、農家の安心が確保できるよう、しっかりとした施策を講じていかなければならない。