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はなし康弘

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2011年9月16日

「復興の遅れは何故か」会社経営者を対象に講演(H23.9.16)

9月16日、水戸市内で、主に会社経営者を対象に、「復興の遅れは何故か~『政権担当能力なき政権』の犯罪」と題して講演。予算編成の遅れ、予算執行の遅れ、復興方針のぶれ、いかにもちぐはぐで、これは、菅直人氏個人と言うよりも、民主党の体質的な問題だ。自民党は、民主党の体質の問題点を明らかにした上で、民主党にはできない復興策を提案し、実現させることにより、日本の国の立て直しに協力すべきと主張。その上で、自民党は、「ナロードニキ(人民の中へ)」を合い言葉に、本格復興を担う国民政党に脱皮すべきと述べる。

2011年9月13日

野田新首相がなすべきこと(2)~震災復興のため、3次補正予算後、直ちに国民の信認を得直せ

強力な復興のため国民の信認を得よと訴える

6月2日の内閣不信任案否決以来、民主党は、被災地そっちのけの「菅おろし」で、3か月もの政治空白を作った後、9月2日に、ようやく、野田新内閣の発足を見た。
報道各社の世論調査では、新内閣は、おおむね5割台後半から6割台の高い内閣支持率を記録しており、まずはご同慶の至りだ。
テレビなどでも、前任の管氏が、露骨に政権にしがみつき、「どうしようもない」とみられていた反動か、野田新首相については、「演説のうまさ」、「重厚に見える風貌」、「『どじょう』を自認する泥臭い実直さの演出」などが、今のところ、非常に好意的に受け取られている。
ただ、このような政治スタイルは政治スタイルとして、野田新首相が、具体的に何をしたいのか、民主党代表選挙を通じても、9月13日の所信表明演説を聴いても、今ひとつ見えてこなかった。
さて、8月29日の民主党代表選挙では、前原候補が、思い切った円高・経済対策を掲げ、馬淵候補が、増税でなく、復興債による復興予算の編成を主張、そして、本命と目された海江田候補は、「2009年民主党マニフェストの尊重」を前面に出した。
このように、これら3候補は、演説の巧拙は別として、それぞれ特徴的な政策を前面に出して代表戦を戦った。これに対し、衆議院当選11回の鹿野候補は、豊富な経験に基づく安定感をアピール、野田候補は、「どじょう」演説に象徴される「泥臭さ」、「実直さ」を印象づけ、この両候補は、どちらかというと、「政治スタイル」を前面に出した代表戦を戦った感がある。

2011年9月11日

震災後6ヶ月、震災復興の遅れに危機感(H23.9.11)

9月11日は、東日本大震災の発災からちょうど半年。でも、復興は進んでいない。震災後の補正予算も、小出しでタイミングも遅い。その責任者が財務大臣だった野田新首相というわけだが、しっかり反省してもらい、前日報道された7~8兆円などという中途半端な規模ではなく、もっと大規模な補正予算を編成すべきと訴える。そして、補正予算で当面の復興に一定のメドをつけた後は、衆参ねじれの中、政治的駆け引きに時間を費やすよりも、「国民の信頼を得た強い政権」に復興をゆだねるべく、国民の信を問うべきと訴える。

2011年9月3日

東日本トランポリン競技選手権大会(H23.9.3)

9月3日、地元稲敷市で東日本トランポリン選手権大会を開催、茨城県協会の会長として、東日本各地から参集した選手の皆さんに歓迎のあいさつ。「落下しても、元の位置よりもより高く跳ね上がるトランポリン競技は、震災復興のあり方を良い意味で象徴している。その裾野を広げていきたいものだ。そして、震災により施設等も被災し、開催も危ぶまれたが、競技ができることの喜びをかみしめ、是非良い大会にしていただきたい。」などと述べる。

2011年8月31日

野田新首相がなすべきこと(1)~国民目線の財務大臣を任命し、大規模3次補正で震災対策に一定のメドをつけよ

街頭で震災対応予算措置の酷さを訴える

8月30日の衆議院本会議、民主党の野田佳彦氏が、第95代内閣総理大臣に指名された。
丁度2年前の平成21年8月30日、総選挙で自民党が大敗北を喫し、民主党政権が誕生してから、鳩山氏、菅氏に続く3人目の民主党総理の誕生だ。
総理大臣が1年ごとにころころ代わる日本政治の現状は、さすがに海外からもあきれられているが、その一方で、わが国は、3月11日の東日本大震災からの復興という大きな問題に直面している。
ところが、政府の震災対応はまさに後手後手、被災地の方々から失望(絶望)を買っているのが実情だ。
野田新首相には、当面は、菅政権の下で遅れに遅れていた3次補正予算(震災対策のため、10兆円を超える規模が必要と言われている。)の編成に全力を挙げ、早急にその成立・執行を行って頂きたい。
これは、与野党問わず国民の願いだ。(阪神・淡路大震災時と比較した今回の震災対策予算)

2011年8月30日

前回選挙から2年、街頭演説にも力を入れる(H23.8.30)

東京の会議から帰り、8月30日午後は選挙区で街頭演説。新総理には、遅れている3次補正予算(復興対策)の編成を早期に行うよう要望。ただ、菅内閣が退陣した主な理由は、①復興予算の余りのスピード感のなさと②円高・株安をもたらした経済無策だった。そして、菅内閣における主管大臣は、財務大臣の野田氏だったはずだ。野田新総理には、マニフェストが絵に描いた餅だったことを国民に率直に説明するとともに、財務大臣時代の自ら「実績」を反省してもらうことが必要だ。表紙を換えただけでは何も変わらない。

2011年8月30日

国家国民のために政権奪還を(H23.8.30)

8月30日の党本部、久しぶりに、前・元議員や新人候補も加えた全体会議。ちょうど2年前の今日、私も含めた多くの同僚が総選挙で苦杯をなめ、その2年後に当たる本日、民主党政権になって3人目の総理大臣が誕生する。マニフェストも反故にし、表紙をくるくる換える民主党政権には、もはや政権としての正統性がない。一刻も早く国民の信を問うことが必要だ。谷垣総裁も、3次補正予算を成立させ、震災復興政策に一定のメドがついたら、解散総選挙を強く求めることを明言。民主党政権の延命は、復興の足かせともなりかねないからだ。

2011年8月27日

大日苑ミニ夏祭り(H23.8.27)

8月27・28日の土日は、各地でこの夏最後の夏祭り。ここ大日苑でもミニ夏祭り。稲敷市江戸崎にある大日苑(旧植竹庄兵衛邸)は、昭和初期の和洋折衷建築で、国の有形文化財にも登録されており、NPO法人大日苑保存会の方々が手弁当で管理している。保存会のドリスさんや野口さんのお誘いで、楽しませていただく。大日苑の保存・活用については、従前からご相談に預かっているが、地元の誇るべき文化遺産であり、今後もできるだけ力になっていきたい。rn

2011年8月24日

一軒一軒地域を回る活動を再開(H23.8.24)

今年の夏も暑かった。梅雨明けからお盆にかけては、夏祭り、新盆のお参り等々、車での挨拶回りを主体とした活動を行ってきた。ようやく秋風も吹くようになり(もっとも最高気温は30度に達したが)、この日から一軒一軒地域を歩き、市民と対話する活動を再開。永田町では、民主党の代表選挙が始まったが、こうした対話の中で、多くの国民が、数合わせの露骨な権力闘争にしらけた感想を抱いていることを実感する。今日も、「政治家の方はもっとまじめにやって欲しい」との声を聞く。このような声を肝に銘じ、地道な活動に徹していきたい。

2011年8月5日

空疎な菅氏主導の「脱原発」議論~政府は「福島第1原発事故」の検証を滞らせるな

地元の会合でも、原発・放射能の問題は良く話題に上る

7月13日、鳩山前首相の言によれば「6月中にも退陣」するはずだった菅首相が、突如記者会見を開くと内閣記者会に通告、いわゆる「脱原発」方針を表明した。
しかし、翌日には、枝野官房長官が、記者会見の内容は、「遠い将来の希望」と菅首相の発言を微妙に否定し、海江田経産大臣も巻き込んで閣内不一致の政権の末期症状を露呈する事態となった。
ただ、菅氏が、いわゆる「脱原発」を表明して以降、それまでの、「福島原発の事故は(政府の対応の拙劣さによる)人災」といった菅氏への批判が表に出なくなり、「『脱原発』は日本経済を無視した思いつき」といった政権批判がマスコミを賑わしたかと思うと、その一方で、「原発は今すぐにでも止めて欲しい」という市民の声も、大きく報道されるようになってきた。
私はこの現象は、「菅直人氏の思う壺」というような気がしてならない。私は、残念ながら、今のところ、「脱原発」か「原発維持」か「原発推進」かを断定的に判断するエビデンス(具体的根拠)を持ち合わせていない。
なぜなら、福島原発事故がここまで拡大したことについての検証作業に関する情報が明らかになっていないからだ。
「原発事故」は極めて恐ろしい。
今後の原発のあり方について考えるとき、天災や戦災(あって欲しくないが)を被り、不測の事態に直面したときでも、「絶対的な安全」が確保できるのかどうかが極めて重要な要素になる。