確かな政治で確かな未来を!!日本を立て直す
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はなし康弘

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2010年4月15日

寒い4月、寒風の中早朝駅立ち(H22.4.15)

今年の4月はことのほか寒い。4月15日も、真冬並の寒さの中、早朝の駅立ち。今、社会全体に、「古い自民党にも戻って欲しくないが、民主党にはあきれた」という閉塞感が漂っている。政治不信も高まっている。でも、私自身は、「まともな政治」を創るため、真面目に活動していきたいし、地道ではあるが、地域での活動を展開している。このような思いを、1人でも多くの有権者に知って頂きたいと思う。

2010年4月11日

国民のために!!今こそ必要な自民党改革~党執行部は猛省を

危機感はどこまで伝わったか。自民党谷垣総裁

4月5日の自民党本部。
参議院選挙必勝のため、非現職の衆参選挙区支部長(落選議員・新人で次期国政選挙公認予定者)の意見を聴き、これに執行部が答える形式の会議が、久し振りに開催された。
折からの平沼・与謝野新党の動きもあり、執行部交代を求める意見、一丸となってまとまっていこうという意見など、様々な意見が出され、会議は2時間半に及んだ。
私も発言し、党執行部に「反省」を促すとともに、党改革の必要性を訴えたが、その真意が、どこまで伝わったか。
私は、谷垣総裁、大島幹事長ともに良く存じ上げている。

2010年4月10日

運動靴で街頭演説(H22.4.10)

最近は、雨でなければ運動靴で地域を回っている。街頭演説も運動靴で。1人でマーチを運転し、「借金をしてのバラマキは国を滅ぼす」「真面目に汗をかいた人もそうでない人も同じだけ受け取るような政策は、日本人をおかしくする。」「もうこれ以上の借金をしてはならない。」「これからはしがらみのない若手がどんどん発言していく。」などの訴えを行う。

2010年4月5日

党執行部にもの申す(H22.4.5)

4月5日、選挙区支部長らを集めての、参院選必勝のための会議。既にコラムでも述べたように、私は、自民党の抜本的な党改革が必要という立場。この日も、谷垣総裁と大島幹事長に対し、これまでの党運営などについて、総括と反省を求めるとともに、新たな党の姿を早急に国民に示して欲しい旨申し上げた。rn

2010年4月4日

トランポリン育成協議大会表彰式(H22.4.4)

4月4日は、茨城県トランポリン育成競技大会。県トランポリン協会会長として、金メダルを授与。本年から、県協会も、ようやく規約も制定し、競技のレベルを上げるとともに、裾野を広げる活動を本格的に展開していくこととしている。メダルを授与された幼稚園生たちが、オリンピック選手になることも、あながち夢ではない。

2010年4月3日

各町村で街頭活動(H22.4.3)

新年度を迎え、いよいよ、民主党政権の政策が実施され、その真価が問われようとしているが、国民の不安感は、ますます増大するばかりだ。しかも、現政権のバラマキ政策は明らかにおかしい。一刻も早く政権を交代させ、国民の不安感を解消すべきことを訴えるとともに、自民党のふがいなさをわび、私自身が、若手改革派として、しっかりと保守の旗を掲げていくことを訴える。

2010年3月29日

第4回舛添カレッジ(H22.3.29)

3月29日は、第4回「舛添カレッジ」が開催され、その後懇親会。この日は、中外製薬社長の永山治氏から、「ライフサイエンス分野における経済成長戦略」についてお話を聞く。つくづく、現政権の成長戦略の欠如を実感する。このままでは日本がおかしくなってしまう。

2010年3月27日

強風の中スーパー前で街頭演説(H22.3.27)

3月27日の女性局大会終了後、地元に帰り、スーパー前で街頭演説。この春は天候不順で、この日も風がことのほか強い。私も、どんな風が吹いても吹き飛ばされぬよう、地域の声をしっかりと聞いていきたい。

2010年3月27日

自民党茨城県連女性局大会(H22.3.27)

3月27日、自民党茨城県連女性局大会であいさつ。「民主党がここまでひどいにもかかわらず、自民党本部の戦う姿勢や迫力不足は否めない。しっかりした保守政治を創るためにも、私たち地域の力・絆を強固にしていかなければならない。私は今日もこれから街頭に立つ。」とあいさつ。

2010年3月26日

日本はどこまで後退するのか(2)~「バラマキに手を染めた『古い自民党』」に輪をかけた民主党

葉梨康弘の質問に答える

前回コラムで述べたように、バブル崩壊後、「自助」を重視してきた本来の保守政治が影をひそめ、当初は緊急避難的措置としてとられたバラマキ路線が定着するようになってしまった。
そこに「癒着」が生まれ、国民は、自民党政治に対する「飽き」を感じるようになる。
この時期の自民党政治は、若々しかった戦後復興期の保守政治と異なる、「古い(あるいは『老いた』)自民党」と言うことができると私は思う。
このような「古い(老いた)自民党」との訣別を宣言したのが、小泉純一郎元総理だった。
「聖域なき構造改革」の旗印の下、各種の予算は、例外なく、一律カットの対象となり、この時期、「税金のムダ遣い」の排除も加速度的に進んだ。
現在政権にある民主党の方々は、小泉政権の発足時、「母屋でおかゆ、離れでスキヤキ」(塩川正十郎元財務大臣)と評された「特別会計」に対し、私たちが徹底的なメスを振るった事実を知らないで、「『事業仕分け』でもすればカネはいくらでも出てくる」と思いこんでいたふしがある。
結果は、絞れるお金はほとんどないことに、どうも今になって気が付いたようだ。(小泉純一郎元総理が持っていた「厳しさ」)