スロバキア国民議会の真向かいにあるブラチスラバ(スロバキアの首都)城をバックに記念撮影。rnこの日(11月9日)は、早朝バスでウィーンを発ち、ブラチスラバでの調査を行った後、夕刻にウィーン空港へ、そして、その足でスイスのチューリッヒへという日程だった。
11月9日、ドルゴネッツ憲法委員長はじめ、国会憲法委員会のメンバーと会談。rn「国民投票は、わりに良く使われる政治の道具(ツール)」との説明。メチアル元首相が、NATO加盟等の案件を、国会に諮らずに国民投票に付して(投票率不足等で不成立)葬ってしまったなどの経緯があるらしい。rnまた、スロバキアは、50%の最低得票率制度があるが、最近の国政選挙の投票率は低下傾向にあり、この数回の国民投票も、賛成が多い場合でも不成立という事態が続いていることもあり、委員の多くが、「国民投票を積極的に活用すべき」という意見を持っているような印象は受けなかった。
11月8日、中央選挙管理委員会の副委員長も務めるフォーグル内務省総局長。rnオーストリアの国民投票制度について、詳細、かつ、実務的な説明を聴く。rn買収は禁止されているものの、運動制限は極めて緩やかな印象。rn
11月8日、中央選挙管理委員会の副委員長も務めるフォーグル内務省総局長。rnオーストリアの国民投票制度について、詳細、かつ、実務的な説明を聴く。rn買収は禁止されているものの、運動制限は極めて緩やかな印象。
アポイントメントの合間に、明治初年、新たな国づくりのため、2年間にわたり、外国事情を視察した岩倉視察団(岩倉具実、木戸孝允、大久保利通ら)も訪れた旧オーストリア帝国の武器庫跡(現軍事視博物館)を訪問。rn写真は、第1次世界大戦のきっかけとなったサラエボ事件当時、射殺されたフェルナンド皇太子が着用していた軍服。
11月8日、86年の歴史を持つ世界最古の憲法裁判所のコネリック長官を囲んで。rn国民投票の問いかけがあいまいでないか、各種選挙も含め、その投票や選挙が無効ではないかといった審査も行う機関。ただし、結果の無効との判断は、不正の有無の事実認定よりも、「その事実が合った場合、結果に影響を与えたか否か」をまず判定するという。その意味で合理的だ。rn会談後、国民投票の資料のほか、「音楽も憲法と同じくらい大事」という言葉とともに、2005ニューイヤーコンサートのCDをおみやげにくれた。rn
11月8日、憲法学者でもあるオーストリアのコール下院議長と会談。rn制度についての説明も勿論だが、「戦後2つの国民投票のうち、1つは、政策の可否よりも政権の好き嫌いと結びついたために失敗した。国民投票にかける内容については、国民に対して、時間をかけてしっかり説明することが大切。」とのコメントが印象に残った。rn
わが国には、憲法改正国民投票について、その手続を定める法律がない。rn今、この法律の制定のための各党協議が具体化しつつある。これは実は戦後初めてのこと。私は、11月7日から18日まで、衆院憲法調査特別委員会の派遣の自民公共社の議員団(団長 中山太郎委員長)に加わり、欧州5カ国を調査。rn11月7日深夜にウィーン着。翌朝最初の訪問先、オーストリア国民議会前にて。rn
10月31日、去る9月19日に逝去された後藤田正晴元副総理の「お別れの会」がしめやかに行われた。