改憲・護憲の垣根を超えて~国民1人1人が憲法を創る(守る)仕組みを

2005-11-5

「憲法改正国民投票は国民の統合に大きく寄与」

衆議院憲法調査特別委員会は、11月7日から19日までの間、委員8名に欧州5か国を視察させ、国民投票制度についての調査を行うことになった(私の参加は18日まで)。
メンバーは、自・民・公・共・社の各党から次の8人。
自民党中山太郎・衆院憲法調査特別委員長(衆7、参4期)
保岡興治・党憲法調査会長(衆11期)
私、葉梨康弘(衆2期)
民主党枝野幸男・党憲法調査会長(衆5期)
古川元久・党憲法調査会事務局長(衆4期)
公明党高木陽介・党広報局長(衆4期)
共産党笠井亮・党国際局次長(衆1、参1期)
社民党辻元清美・党政審会長代理(衆3期)

この調査は、12日間で5カ国を回る実務的なものとなる。
ただ、憲法改正国民投票の制度作りは、日本国民が、歴史上初めて、自らの手で憲法を創る(守る)仕組みを持つという意味で、画期的なこと。
私は、是非とも、改憲・護憲の垣根を超え、憲法を国民の手に取り戻すため、国民投票制度の構築に力を尽くしていきたいと思う。今日私は、憲法をどう変えるべきか(又は変えないべきか)を書くつもりはない。

しかし、どのような憲法を持つにせよ、わが国の国民が、「憲法は、自分たちが作ったものだ」という意識を持つことができなければ、私は、日本という国が、国際社会の荒波を乗り切っていくことはできないと考えている。

例は悪いかも知れないが、人口減に悩むわが国が、移民の受け入れ政策に転じたとしよう。
この場合、新たに日本の市民権を得る移民たちに、「日本人であることの極まり」を説き、忠誠を誓うことが必要だ。
その「極まり」は、もとより、「日本国憲法」でしかあり得ない。

ここでもしも、日本国民の間に、「日本国憲法」は、「『天皇』が作ったものでも『国会』が作ったものでもない。我々が作ったものなのだ。」という強烈な意識がなければ、「極まり」は、何の意味もなくなってしまう。
だからこそ私は、憲法というものを、国民1人1人のレベルで、今までの空気のような存在から、本当にしっかりとした日本の国の背骨のような存在にしていくことが大切なことと考えている。

現行憲法は、明治憲法の改正手続きに従い、帝国議会の協賛を得た欽定憲法として、「国民の名において」公布された。
そして、その後の改正に国民投票が義務づけられ、憲法制定権力が国民1人1人であることが明らかにされた。
だから、法律論的には、特に「瑕疵(決定的間違い)」はない。
でも、その後60年、憲法改正国民投票の制度が作られることはなかった。
ここらへんに、今の憲法のことを、国民が作った憲法として素直に愛せない遠因があるように思う。
私は、実際に国民投票が行われなくても、その制度が作られ、「他の法律と違い、皆が参加して憲法を創るんだよ」ということが、学校で教えられることにより、国民1人1人が、もっともっと、「憲法」を身近なものと感じることができるんじゃないかと思う。

さらに、私は、憲法調査特別委員会での参考人のお話を聞き、国民投票を実施している諸外国の国民は、正直、大変うらやましいと感じた。
それは、国民が夢を語りながら国づくりに参加する、そのうらやましさだ。
時に政府の目論見と反対の結果が出ることもあるが、意見が違っても、国民同士が憲法について議論をして、少なくとも皆が国づくりに参加しているという意識を共有すること、これがどれだけ国民の統合に対して寄与するのか、はかり知れないものがあるんじゃないか、正直そんな感想を持った。

私は常々、「憲法は、『法律』ではない。『国民の決意』だ。」と思っている。
そんな観点から、5カ国の実情をしっかり見ていきたい。
その成果は、帰国後にご報告するのでよろしく。

PS) 7日から日本を空ける関係上、2週間ほどコラムや活動日誌などの更新を行わなくなりますので、ご容赦下さい。