確かな政治で確かな未来を!!日本を立て直す
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2010年5月28日

街宣をしながらポスターの張り替え(H22.5.28)

普天間問題が決着するはずの5月末なのに、政権は迷走するばかりだ。5月28日は、「選挙で勝つためならどんなウソでもついてよいのでしようか。公約も実行せず、迷走する民主党政権は、わが国の将来を危うくしています。」と街宣車で主張しながら、近づく参院選に備え、私のみが写っていた広報板のポスターを、参院選候補とのツーショットのポスターに張り替えて回る。道行く人から、「葉梨さん自ら大変ですね。参院選が終わったらすぐ衆議院の選挙じゃないですか。」などと声をかけていただく。

2010年5月27日

早朝駅立ちの後東京へ(H22.5.27)

5月27日早朝、恒例の駅立ち。5月も末というのに寒い朝だ。でも、ビラを手にしてくれる人は結構多く、有権者の暖かさも感じる。この日の昼、青少年交友協会の理事会出席のため久し振りに東京へ。前回の「目で見る活動」で、「事業仕分けで仕事が消えた」という民間人の声を紹介したが、まさか、青少年交友協会が実施してきた、親子や地域の絆を築くための貴重な事業が、今回の事業仕分けで仕分けられ、存亡の危機にあることを、この日初めて知った。(コラム参照)

2010年5月25日

早朝駅立ちと市民の声(H22.5.25)

5月25日の早朝駅立ち。「今回はガンバつてくれよ。」という声に励まされる。中には、「事業仕分けで仕分けられて、仕事がなくなりそうだ」という民間人の声も。民主党は、天下り先の法人への事業委託金を「ムダの典型」と位置づけたいようだ。私も、天下りは根絶すべきで、天下りの役員にはお引き取り願えばよいと思うが、その法人そのものに対する事業委託金を廃止すれば、単なる天下りの役員1人でなく、委託事業に携わってきた多くの民間人が職を失うことにも気づいて欲しい。

2010年5月23日

県トランポリン協会総会(H22.5.23)

5月23日は、私が会長を務める県トランポリン協会総会。この協会も、本年、ようやく規約を制定、体育協会加盟や学校での部活動充実のため、いよいよ活動を本格化させる。年度ごとの予算も、実はこの総会で初めて決定した。私も、2年前から会長をお引き受けしているが、老若男女が楽しめるトランポリン競技の普及のため、微力ながら力を尽くしていきたい。

2010年5月22日

土曜日恒例の辻立ちと支援者の声(H22.5.22)

5月22日は土曜日恒例の辻立ち。今日のテーマは、口蹄疫問題と危機管理。私は、与党で畜産酪農対策の責任者を3年間務めていたが、疾病発生時には間を置かずに移動禁止をかけ、緊張感を持って臨むのは常識。感染発覚10日後の段階で大臣が外遊し、1月してようやく10㌔県内殺処分という対応は、緊張感のかけらも感じられない上、余りに遅きに失する。この政権では、わが国の危機管理がこころもとない。辻立ち後、各地で支援者から声をかけられる。

2010年5月21日

「頑張って」の声に応える(H22.5.21)

5月21日は、茨城県南地域も摂氏30度を突破。早朝の駅立ちの後、街の中を、汗をふきふき一軒一軒歩いて回る。駅では、時折「頑張って」と声をかけられ、笑顔で応じる。最近は、日米関係のつまづきだけでなく、口蹄疫の問題、北朝鮮の魚雷問題など、わが国の危機管理は本当に大丈夫か、ちょっと心配だ。街の人からは、「韓国の(李明博)大統領は頼りがいがあるのに、日本の総理大臣は外国から相手にされていない印象だ。」といった声も聴く。情けない話だ。

2010年5月19日

手作りの活動が新しい政治を創る(H22.5.19)

5月19日は夕方まで曇り。私と事務所スタッフの2人で、広報板(私のポスターを貼った看板)の設置・補修作業。「看板立てて良いですよ」と有り難い申し出を頂いた支援者の方が所有する国道沿い空き地に杭を打ち込む。野党の、しかも落選議員の私には、組織に頼ったりお金をかけた活動はできない。また、政治家としての信念から、民主党のようなウソもつけない。でも、このような手作りの活動が、必ずや、国民から信頼されるまともな政治を創ることにつながるはずだ。そんな思いを胸に、金槌を持つ手に力をこめる。

2010年5月18日

「決められない政治」~国民投票法施行でも置き去りにされた憲法論議

参院可決で一礼する法案提出者(左端が葉梨)

平成22年5月18日、いわゆる「憲法改正国民投票法」が、憲法改正手続部分も含めて、形式的には、全面施行されることになった。
この法律は、3年前の平成19年5月14日、参議院本会議で可決・成立したものだ。
ご案内のように、現行憲法は、憲法改正のためには、両院の3分の2以上の多数をもって国会が発議し、これを国民投票に付するという規定があるが、現行憲法施行後63年、憲法改正国民投票手続きを定める法律は作られてこなかった。
これは、国会の怠慢でもある。
このよう状態を解消し、憲法を国民の手に取り戻すため、議員立法として提案されたのが、憲法改正国民投票法であり、私も、4人の提出者の1人として、自らの言葉で答弁に立ち、当時、相当な精力を傾注したことを憶えている。私自身は、個人的には憲法改正論者であるが、国民投票法を作ることで、改憲・護憲のいずれかの立場を有利にしようと言う意図はなかった。
それよりも、21世紀の国際社会の荒波の中で、国民が、自国の将来像を主体的に決めることができないでいる国は、早晩滅びてしまうという危機感から、法律作りに携わらせていただいた。

2010年5月18日

国民投票法施行日、民主への風止まる(H22.5.18)

5月18日は憲法改正国民投票法施行日(コラム参照)。色々な感慨を抱きつつ、恒例の早朝駅立ち。民主党の市会議員さんも同じ駅で駅立ち。「鳩山さんを表紙にしたビラの取りが悪くなった」とぼやいていた。確かに民主への風は止まりつつあるが、まだまだ自民党へのおしかりの声は多い。一連の離党騒ぎは、確かにマイナスに働いた。マイナスをプラスに変えるため私にできることは、やはり地元の活動しかない。この日も午前は支援者の方との打ち合わせ、午後は街に出て1軒1軒お話しを伺う。気温は摂氏30度に上昇。いよいよ夏だ。

2010年5月17日

どうやって賑わいを取り戻すか(H22.5.17)

5月17日の月曜日は、午前中取手市での会合、さらに、友人のご尊父の告別式に出席した後再び街へ。お店の知り合いに街を歩く姿を写してもらう。今日は商店街を歩いたが、夏日となったせいもあってか、通行人はほとんど私1人。改めて、どうすれば街の賑わいを取り戻すことができるのか、自問自答しながら、一軒一軒訪ねて歩く。訪問したお家が、実は私の遠縁に当たることを発見したり、私の近親者と兄弟付き合いをしているお店を知ることができたり、私の不勉強を恥じながらも、日々何かの収穫がある。