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5月21日は、茨城県南地域も摂氏30度を突破。早朝の駅立ちの後、街の中を、汗をふきふき一軒一軒歩いて回る。駅では、時折「頑張って」と声をかけられ、笑顔で応じる。最近は、日米関係のつまづきだけでなく、口蹄疫の問題、北朝鮮の魚雷問題など、わが国の危機管理は本当に大丈夫か、ちょっと心配だ。街の人からは、「韓国の(李明博)大統領は頼りがいがあるのに、日本の総理大臣は外国から相手にされていない印象だ。」といった声も聴く。情けない話だ。
5月19日は夕方まで曇り。私と事務所スタッフの2人で、広報板(私のポスターを貼った看板)の設置・補修作業。「看板立てて良いですよ」と有り難い申し出を頂いた支援者の方が所有する国道沿い空き地に杭を打ち込む。野党の、しかも落選議員の私には、組織に頼ったりお金をかけた活動はできない。また、政治家としての信念から、民主党のようなウソもつけない。でも、このような手作りの活動が、必ずや、国民から信頼されるまともな政治を創ることにつながるはずだ。そんな思いを胸に、金槌を持つ手に力をこめる。
参院可決で一礼する法案提出者(左端が葉梨)
5月18日は憲法改正国民投票法施行日(コラム参照)。色々な感慨を抱きつつ、恒例の早朝駅立ち。民主党の市会議員さんも同じ駅で駅立ち。「鳩山さんを表紙にしたビラの取りが悪くなった」とぼやいていた。確かに民主への風は止まりつつあるが、まだまだ自民党へのおしかりの声は多い。一連の離党騒ぎは、確かにマイナスに働いた。マイナスをプラスに変えるため私にできることは、やはり地元の活動しかない。この日も午前は支援者の方との打ち合わせ、午後は街に出て1軒1軒お話しを伺う。気温は摂氏30度に上昇。いよいよ夏だ。
5月17日の月曜日は、午前中取手市での会合、さらに、友人のご尊父の告別式に出席した後再び街へ。お店の知り合いに街を歩く姿を写してもらう。今日は商店街を歩いたが、夏日となったせいもあってか、通行人はほとんど私1人。改めて、どうすれば街の賑わいを取り戻すことができるのか、自問自答しながら、一軒一軒訪ねて歩く。訪問したお家が、実は私の遠縁に当たることを発見したり、私の近親者と兄弟付き合いをしているお店を知ることができたり、私の不勉強を恥じながらも、日々何かの収穫がある。
5月15日午後は水戸日程だったため、週末恒例の辻立ちは5月16日の日曜日に。この日は、農業政策と共に、民主党が進める外国人参政権の付与政策の危険性を訴える。実は、中国籍永住外国人数は、アト5年位で、韓国籍の方を抜く予定だ。外国人を排除するつもりは毛頭ないが、今拙速にこの政策を進めるのは、中国に媚びる以外の何ものでもない。昨年の政権交代は、日米関係を悪化させ、日本を中国に飲み込ませるためのものだったのか?これでは願い下げだ。支援者の方からも頑張れよとをかけられる。
5月15日、「拉致被害者救出茨城県民大会in水戸」が開かれ、私も、北朝鮮人権法を立案した経験者として、来賓代表・パネラーとして参加。現政権の方々、確かに拉致被害者を救出したいという「思い」は分かる。ただ、日米関係を決定的に悪化させ、中国の暴走を食い止められず、しかも、拉致問題と同様、日本人も被害者となった国家テロであるアルカイダのテロに強い態度を取れない現政権は、その「思い」とは別に、結果として、拉致問題の解決を邪魔しており、為政者として居座ること自体が犯罪的だと思う。この日は、「思い」だけでは政治はできない、結果をしっかり出す大人の政権が必要と訴える。
5月15日、伯耆田富夫・守谷市議会議長の就任祝賀会が開催される。伯耆田氏とは、拉致被害者の救出活動に携わる同志。水戸で開催の県民集会出席のため中座する無礼を詫び、尊敬する伯耆田新議長の活躍を祈念する。さて、最近永田町で売れ筋のお菓子は、「賞味期限切れの鳩サブレ、食べたらモノが言えなくなる小沢もなか」とのこと。日米関係がおかしくなり、拉致問題の解決も遠のき、さらに、「コンクリートからヒトへ」政策で、多くのヒトを運ぶはずだったつくばエキスプレス東京駅延伸もとん挫。これではダメダ。「守谷から日本を変えよう」と訴える。
5月12日は、午後には雨も上がり、スニーカーで各戸訪問へ。商店を回ると出るのは必ず景気の話。中国が好景気なため、輸出企業の景況感は改善しているようだが、将来への不安から個人消費は低迷、「日本人の財布が半分になってしまったようだ」という印象。しかも、現政権の「借金・バラマキ」政策が、将来への不安を増大させ、消費すべきお金が貯蓄に回ってしまっているようだ。この日も、多くの方から、「早く、『仕事』を増やす政治を創ってください。」という声を聴く。このような声を、大きなうねりにしていかなければならない。
5月11日、舛添要一氏が新党改革を立ち上げ、自民党を離党した後、初の「舛添カレッジ」が開催され、私も地元での街頭活動を終えた後参加。新党立ち上げの経緯等について、直接説明を聴きたかったからだ。そして、舛添氏の自民党改革に賭けた情熱や行動も理解できた。しかし、地元を歩いていると、離党を惜しむ声が多いことも、率直に伝えさせていただいた。私自身は、日本を滅亡から救うため、反民主の保守勢力が1つの旗の下に集まることができるよう、さらなる自民党の改革に邁進しなければならないという決意を新たにした。