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はなし康弘

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2008年9月1日

再び与野党激突の最前線に~特別枠の国会対策副委員長に就く

福田総理、小坂議運委長、私。国対委員会室にて。

内閣改造も終わり、自民党の役員人事も、お盆前には、副幹事長、政務調査会副会長、国会対策副委員長等の新体制が決まった。
私はこれまで1年間、国会対策副委員長を務めてきたが、与野党激突の最前線でやりがいはあるものの、いかんせん拘束時間が長い。
このため、この臨時国会では、再任は希望せず、
○社保庁ヤミ専従問題対策PT座長として、社保庁を大掃除
○総務部会長代理として国家公務員の給与改革に挑戦
○配合飼料高騰対策PT座長を務める農林関係議員として米価安定等を実現
などの仕事に取り組みつつ、地元の活動を強化するつもりでいた。

2008年8月31日

憲法タウンミーティングin鳥取(H20.8.31)

8月31日、日本青年会議所鳥取ブロック協議会に招請され(日帰り)、「憲法タウンミーティング」のパネリストとなる。会場は鳥取県中部の琴浦町、約250人を集め、約2時間のパネルディスカッションを行う。私からは、従来の論点に加え、「過去、多くの難局に直面したとき、若者は、生活の諸問題に加え、国の姿、すなわち『維新』を語ってきた。今、油や食糧のことを語るのも勿論重要だが、21世紀の荒波の中で生きていける国の姿・憲法のあり方について、民主党の反対で、国会で議論できないでいることは、大きな問題である。」ことを訴えた。

2008年8月30日

川口順子元外務大臣を迎える(H20.8.30)

8月30日は、自民党阿見支部総会に、川口順子元外務大臣を招き、講演会を開催。川口元大臣(参議院議員)からは、民主党が参議院で第1党になったとたん、いかに非常識なわがままを、まさに「数の暴力」で押し通しているか、具体的な話があった。政権交代があっても、日本の国が滅亡しないようにするには、今の民主党には、もっと大人になってもらわなければならない。

2008年8月27日

駅頭で政策を訴える(H20.8.27)

お盆の期間中は、支援者のご家庭のお参りで、地元を歩かせていただいた。世界的な原油高騰、穀物価格の上昇等の影響で、多くの国民の間に、生活への不安が広がっていることを改めて実感する。このような不透明感を払拭するためにも、政治・行政がしっかりけじめをつけ、国民とともに困難に立ち向かうことが大切だ。お盆も明け、国会開会まで、街頭での訴えを再開。この日、早朝の駅頭で、私が現在、社会保険庁ヤミ専従問題PTの座長として、社会保険庁のケジメ、大掃除に取り組んでいることを訴える。

2008年8月7日

もっとインドネシアに注目しよう~中国・インドに劣らぬ真のパートナー

ユドヨノ・インドネシア大統領とも会談

この7月、私は、山崎拓・日本インドネシア友好議員連盟会長を団長とする衆議院インドネシア訪問議員団(5名)の一員として、ジャカルタで開催された日本インドネシア政治家間対話セミナーに参加してきた。
訪問日程は、23日の昼に成田発、夜当地着。24日午前に副大統領と会談、午後はセミナー。25日午前に在留邦人と懇談、午後は大統領と会談、その日の深夜に当地発。26日早朝成田着というあわただしい日程だった。
私自身、94年から97年まで、ジャカルタの日本大使館に勤務していたご縁で、議連の事務局次長を務め、今回の訪問団に加わったわけだが、この日程では、当時のことを懐かしむ時間もなかった。
ただ、今回の訪問で、改めて、インドネシアが、わが国にとって、中国やインドに劣らない重要なパートナーであることを痛感した。中印の台頭が言われる中、わが国の国益のためにも、政治・経済の両面で、インドネシアと、より強固な関係を築くことが極めて重要だ。インドネシアというと、わが国では、スマトラ沖や中部ジャワの地震のニュースだとか、イスラム国家ゆえのテロのニュースだとかが報道されることが多いようだが、報道と実態とは、相当異なる。
この数年、社会的な安定を確実に取り戻しつつあるし、何よりも、インドネシアは、紛れもなく、東南アジアの大国だ。

2008年7月25日

ユドヨノ大統領との会談(H20.7.25)

前日の4時間に及ぶセミナーの後、25日午前中は在留邦人等との懇談、午後はユドヨノ大統領と会談。私からは、14年前の大使館1等書記官当時、APEC首脳会議の警備の依頼で、当時ジャカルタ軍管区副司令官だったユドヨノ大統領にお会いしたことを申し上げ、インドネシアが、その後の経済危機や災害を乗り越え、安定を勝ち取りつつあることに敬意を表明。大統領も、APEC首脳会議当時の思い出話で応じ、さらに、国連安保理改革問題や朝鮮半島問題で、日本の姿勢に深い理解を示すなど、会談は非常に友好的に行われた。なお、帰国はこの日の夜の便という強行日程だった。 

2008年7月24日

インドネシア国会議員とのセミナーの模様(H20.7.24)

わが国とインドネシアのそれぞれの国会議員が参加したセミナーの模様。インドネシアに対するわが国の投資促進や、両国間の人的交流の拡大方策等について活発な討議が行われた。私からは、「投資促進のためにも、インドネシアの対日感情の良好さなどを、両国の国会議員がもっと宣伝していく必要がある。その意味で国会議員同士のフランクな交流は極めて重要で、今日がまさにそのスタートだ。インドネシアも来年4月、わが国も多分1年以内に総選挙があるが、この関係を発展させるためにも、今日列席の議員は、党派と国境を越え、お互い当選を勝ち取ることわ祈ります。」旨発言。

2008年7月24日

インドネシア国会議事堂前(H20.7.24)

7月24日は、午前中のカラ副大統領との会談の後、午後は、インドネシア国会議事堂内の第1委員会(外交・防衛等担当)室で、インドネシア国会議員とのセミナーに臨む。11年前に私が大使館に駐在していた頃は、インドネシアは、スハルトの開発独裁国家で、国会議員の力は極めて弱かった。しかし、今や民主化が進み、国会議員から閣僚になるケースも増えている。そんな中、国交樹立50年にして初めて、両国議員間の公式のセミナーが開催されることになった。写真は、日本から超党派で参加した議員団。インドネシア国会議事堂前にて。

2008年7月24日

ユスフ・カラ副大統領と会談(H20.7.24)

7月23日から2泊4日で日本インドネシア友好議員連盟の公式派遣でインドネシアを訪問。本年は、国交樹立50周年に当たり、日イの議員で、友好記念セミナーを開催、政治経済問題について討議することとなった。団長は、議連の会長である山崎拓元自民党副総裁。友好セミナーの前に、ユスフ・カラ副大統領と会談。カラ副大統領は、日本への造詣が深く、また、第1党であるゴルカル党総裁として、大きな影響力を持っている。

2008年7月17日

社保庁を「大掃除する自民党」と「公務員身分温存の民主党」~我々こそが国民の年金を守る

会議の模様。左は尾辻・社保庁改革PT座長

今、国民にとって非常に関心の高い年金記録問題は、「宙に浮いた年金」の問題に加え、6月には、「厚生年金の入力ミス」が発覚、何か、誰かが計画的に暴露しているかのように、社会保険庁のずさんな業務処理が相次いで明らかになり、まさに泥沼の様相だ。
ただ、不思議なのは、もしも警察官や税務署の職員がずさんな業務処理を行えば、業務処理の責任者である警察署長や税務署長が責任をとり、国家公安委員長や財務大臣は、不祥事の再発防止策を担当するはずなのに、社会保険庁の場合、社会保険事務所長たちがずさんな業務処理の責任をとって辞めたという話は、聞いたことがない。むしろ、ちゃっかり天下りなどしているらしい。
やはり、与党が、政治主導の監督責任を果たすためには、この状況を作った社会保険庁の管理職を総とっかえするしかない。
もっとも、なぜか民主党、社会保険庁のずさんな業務処理の追及の矛先を、自民党や舛添大臣に向けはするが、「社会保険庁の職員」については、辞めさせることなく、「公務員としての身分保障を守れ」という奇妙な主張をしている。これでは何も変わるまい。
7月16日の「社会保険庁ヤミ専従問題対策プロジェクトチーム」、私は、座長として、ある提案を行い、了承を得た。その提案とは、「社会保険庁ヤミ給与支給・受給問題に関する立法措置」だ。
立法措置の内容は、ヤミ給与を受給してきた労働組合の幹部のみならず、ヤミ給与支給に携わった社会保険庁の管理職たち全てについて、今後、我々の年金をさわらせないこととするものだ。
例えば、19人のヤミ給与受給職員(公務員としての仕事を行わずに、税金から給与を支給されていた労働組合幹部)がいたことが明らかになっている東京社会保険事務局について見ると、相当数の本局の課長、社会保険事務所長が、新たな組織である「日本年金機構」から排除されることになる。
このような具体的な提案を行うことにより、我々の年金を守るためには、「年金記録問題をここまでこじらせた社会保険庁官僚を叩きつぶすべき」(自民党)なのか、「社会保険庁を国税庁と一緒にし、職員は、これからも公務員として身分保障を継続すべき」(民主党)なのか、国民の皆さんにしっかりと考えていただくことが大切だと思う。