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福田総理、小坂議運委長、私。国対委員会室にて。
8月31日、日本青年会議所鳥取ブロック協議会に招請され(日帰り)、「憲法タウンミーティング」のパネリストとなる。会場は鳥取県中部の琴浦町、約250人を集め、約2時間のパネルディスカッションを行う。私からは、従来の論点に加え、「過去、多くの難局に直面したとき、若者は、生活の諸問題に加え、国の姿、すなわち『維新』を語ってきた。今、油や食糧のことを語るのも勿論重要だが、21世紀の荒波の中で生きていける国の姿・憲法のあり方について、民主党の反対で、国会で議論できないでいることは、大きな問題である。」ことを訴えた。
8月30日は、自民党阿見支部総会に、川口順子元外務大臣を招き、講演会を開催。川口元大臣(参議院議員)からは、民主党が参議院で第1党になったとたん、いかに非常識なわがままを、まさに「数の暴力」で押し通しているか、具体的な話があった。政権交代があっても、日本の国が滅亡しないようにするには、今の民主党には、もっと大人になってもらわなければならない。
お盆の期間中は、支援者のご家庭のお参りで、地元を歩かせていただいた。世界的な原油高騰、穀物価格の上昇等の影響で、多くの国民の間に、生活への不安が広がっていることを改めて実感する。このような不透明感を払拭するためにも、政治・行政がしっかりけじめをつけ、国民とともに困難に立ち向かうことが大切だ。お盆も明け、国会開会まで、街頭での訴えを再開。この日、早朝の駅頭で、私が現在、社会保険庁ヤミ専従問題PTの座長として、社会保険庁のケジメ、大掃除に取り組んでいることを訴える。
ユドヨノ・インドネシア大統領とも会談
前日の4時間に及ぶセミナーの後、25日午前中は在留邦人等との懇談、午後はユドヨノ大統領と会談。私からは、14年前の大使館1等書記官当時、APEC首脳会議の警備の依頼で、当時ジャカルタ軍管区副司令官だったユドヨノ大統領にお会いしたことを申し上げ、インドネシアが、その後の経済危機や災害を乗り越え、安定を勝ち取りつつあることに敬意を表明。大統領も、APEC首脳会議当時の思い出話で応じ、さらに、国連安保理改革問題や朝鮮半島問題で、日本の姿勢に深い理解を示すなど、会談は非常に友好的に行われた。なお、帰国はこの日の夜の便という強行日程だった。
わが国とインドネシアのそれぞれの国会議員が参加したセミナーの模様。インドネシアに対するわが国の投資促進や、両国間の人的交流の拡大方策等について活発な討議が行われた。私からは、「投資促進のためにも、インドネシアの対日感情の良好さなどを、両国の国会議員がもっと宣伝していく必要がある。その意味で国会議員同士のフランクな交流は極めて重要で、今日がまさにそのスタートだ。インドネシアも来年4月、わが国も多分1年以内に総選挙があるが、この関係を発展させるためにも、今日列席の議員は、党派と国境を越え、お互い当選を勝ち取ることわ祈ります。」旨発言。
7月24日は、午前中のカラ副大統領との会談の後、午後は、インドネシア国会議事堂内の第1委員会(外交・防衛等担当)室で、インドネシア国会議員とのセミナーに臨む。11年前に私が大使館に駐在していた頃は、インドネシアは、スハルトの開発独裁国家で、国会議員の力は極めて弱かった。しかし、今や民主化が進み、国会議員から閣僚になるケースも増えている。そんな中、国交樹立50年にして初めて、両国議員間の公式のセミナーが開催されることになった。写真は、日本から超党派で参加した議員団。インドネシア国会議事堂前にて。
7月23日から2泊4日で日本インドネシア友好議員連盟の公式派遣でインドネシアを訪問。本年は、国交樹立50周年に当たり、日イの議員で、友好記念セミナーを開催、政治経済問題について討議することとなった。団長は、議連の会長である山崎拓元自民党副総裁。友好セミナーの前に、ユスフ・カラ副大統領と会談。カラ副大統領は、日本への造詣が深く、また、第1党であるゴルカル党総裁として、大きな影響力を持っている。
会議の模様。左は尾辻・社保庁改革PT座長