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政治不信の声を開けとめ、私の考えを説明するところから議論が始まる
6月16日は曇天。街を歩くには暑くもなく寒くもないコンディション。この日も、多くの方から、放射能についての不安、期待はずれの民主党への怨嗟、自民党もっとしっかりせよの声を聞く。私も、落選中とはいえ、自治体に情報提供を促すことなどで、少しでも要望に応えたいものだ。旧知の獣医師の先生からも、「まじめにやってればきっと良いことありますよ」との励まし。ありがとうございました。言葉のしゃべれない動物たちは、「口先だけ」の日本の政治屋をどう見ているのだろうか。ちなみに写真のワンちゃんの名前は獅子丸。
市民の皆様から質問を受けることも多い
6月11日は震災から3か月。国難にもかかわらず政権は脳死状態。何も先に進まない。そんな危機感から街頭へ。私は菅氏のことが好きでも嫌いでもないが、「退陣表明」しておいて「居座れ」ば、国際社会から相手にされない。「居座り」自体が国益を害する。民主党の中で変な子どものけんかはせず、兎に角早く片をつけて欲しいと訴える。その上で、やはり早く震災対応を進めるべき、何をすべきかが肝腎と訴える。でも、民主党の皆さんは、「何をやるか」よりも「誰がやるか」にご執心のようで、寂しくなる。
6月9日は、梅雨の合間の晴天。地域で皆さんとお話していると、「新しい政治を作って欲しい」という期待が大きい。この日お邪魔した守谷市の平野寿朗市会議員もその1人。もともとは社会党で活動してこられたが、今の政治の軽佻浮薄、口先だけのパフォーマンスに辟易されている。党派云々ではなく、私には、行政や国会での経験を踏まえながら、しっかり市民の皆様の声を聞き、まともな政治を作って欲しいと、心から心配もし、期待していただく。ありがとうございました。
6月5日は自民党守谷支部総会。この支部は、昨年、それまで支部長を務めていた県会議員が突然離党してしまったため、組織の基盤が脆弱になってしまった。ポスト菅の政局では、自民党も、期限を限って与党に協力することになろうが、年末か来春には、日本の将来像を争点に、決戦の時を迎えることとなろう。それまでの間、地に足のついた活動を徹底し、国民目線の政治を実現することができるよう、草の根の活動を展開していきたい。支部の再出発の日に、そんな思いを込めて挨拶をする。
6月2日の内閣不信任案否決騒ぎと、それに続く菅総理の辞める辞めない騒動は、国民の政治不信を極限まで高めている。前総理が現総理を「ペテン師」呼ばわりするに至っては、日本の恥さらしも良いところだ。退陣を表明した首相が即刻辞任するのは当然としても、我々野にある者が、震災復興のため与党に協力することは全くやぶさかではない。この日の街頭では、菅氏の早期退陣を求めた上、切れ目内補正予算編成のため、しっかり協力する用意があることを訴え、その後、震災復興に一定のメドがついた段階で、強い政権造りのための解散総選挙の必要性を訴えた。
6月2日は雨。午前中は、小雨の中、地域の皆さんの声を聞いて回る。午後は内閣不信任案採決。野党が不信任に賛成するのは当然としても、この数日、民主党内は造反するのしないの、大騒ぎだった。結局、いつ辞めるのか明言しない菅氏の「辞任表明」を受け、民主党が結束するという茶番劇の末不信任案は否決。政権の求心力も、実行力も失った菅政権が、しばらく続くことになった。これでは、震災復興がさらに遅れ、国民の政治不信がさらに高まることが懸念される。日本政治の立て直しのため、地に足のついた活動を行う必要を痛感する。
5月31日、来日中のインドネシア国家警察省の幹部(私の右からプラスティヨ人材開発局長、イマム治安確率局長、ウグロセノ教育訓練局長)の歓迎の会食を持つ。インドネシア警察とわが国警察とは、交番の輸出を縁に関係が深い。私が警察担当書記官としてインドネシアに駐在したのはおよそ15年前だが、こうした人脈を大切にしておくことが、外交に厚みを持たせる上で大切なことと思う。しかもインドネシアは、アジアでは、中国・インドに次ぐ人口大国であるとともに、イスラム国家としても最大の人口を擁する極めて大切な国だ。
5月29日、私が会長を勤める茨城県トランポリン協会の総会。トランポリンの競技人口はまだまだ少ないが、茨城県のレベルは高い。先の全国大会でも、17~18歳の部で、茨城県勢が1位と3位を占め、11月の世界選手権(バーミンガム)への出場が決まった。本年は、震災の影響や避難所としての提供のため、各地の体育館がトランポリン競技に使用できないなど、何かとハンディがあったが、オリンピックではわが国がメダルを狙うことのできる数少ない種目であり、できるだけ盛り上げていきたいと思う。