確かな政治で確かな未来を!!日本を立て直す
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2011年6月19日

自民党は、「権力亡者」と同じ土俵に乗ることはない

政治不信の声を開けとめ、私の考えを説明するところから議論が始まる

6月2日、衆議院で、菅内閣不信任案が否決された。
しかしその後、菅氏の「一定のメドがついたら若い世代に引き継ぐ。」という言葉の解釈を巡り、永田町の関心の焦点は、震災対応そっちのけで、「総理は何時辞めるのか」に移った感がある。
今、地域で多くの方の声を聞いていると、このような国会の有様に、「国会議員は何をやっているんだ」という怒りの声が、日に日に高まっていることを実感する。
そして、その矛先が、最近では、野党である自民党にも向けられつつあることは、肝に銘じなければなるまい。
多くの方から聞く声は、「国会審議やテレビの国会討論を聞いていても、自民党も、『菅辞めろ』の一点張りで、この国難の時期にもかかわらず、生産的な議論がない。」というものだ。
このような声を聞くと、改めて、菅直人氏という、異常な権力亡者を相手にすることの難しさを思うし、国民のことを考えると、このような人物と、同じ土俵に乗ってはならないなと、つくづく思う。

2011年6月16日

「まじめにやってればきっと良いことありますよ」(H23.6.16)

6月16日は曇天。街を歩くには暑くもなく寒くもないコンディション。この日も、多くの方から、放射能についての不安、期待はずれの民主党への怨嗟、自民党もっとしっかりせよの声を聞く。私も、落選中とはいえ、自治体に情報提供を促すことなどで、少しでも要望に応えたいものだ。旧知の獣医師の先生からも、「まじめにやってればきっと良いことありますよ」との励まし。ありがとうございました。言葉のしゃべれない動物たちは、「口先だけ」の日本の政治屋をどう見ているのだろうか。ちなみに写真のワンちゃんの名前は獅子丸。

2011年6月13日

国政選挙いつから可能になるのか~今は市民の皆様の率直な声を聞き力を蓄えるとき

市民の皆様から質問を受けることも多い

このホームページでも折に触れて述べているが、震災後、私は、市民の声を聞く活動に重点を置いている。
震災後3か月、政府の震災対応の余りの遅さ、ひどさに、国民の政治不信は極限まで高まっている。
だからこそ、市民の生の声をしっかり聞き、震災対応に一定のメドがつく時期にくるであろう「強い政権」造りのための決戦のときのために、国民目線の誠実な政治を実現するための力を蓄えていく覚悟で、まさに今、実践をしているところだ。
そして、多くの質問も受ける。
「今は協力すべき時期としても、いつ頃になったら国政選挙ができるようになるのですか。その見通しはどうなのですか。」という問いもその一つだ。
実際、国政レベルの選挙は、いつ頃になったら可能になるのだろうか。「福島原発事故の収束」をメドとするという意見もある。

2011年6月11日

「退陣表明」で「居座り」にあきれる(H23.6.11)

6月11日は震災から3か月。国難にもかかわらず政権は脳死状態。何も先に進まない。そんな危機感から街頭へ。私は菅氏のことが好きでも嫌いでもないが、「退陣表明」しておいて「居座れ」ば、国際社会から相手にされない。「居座り」自体が国益を害する。民主党の中で変な子どものけんかはせず、兎に角早く片をつけて欲しいと訴える。その上で、やはり早く震災対応を進めるべき、何をすべきかが肝腎と訴える。でも、民主党の皆さんは、「何をやるか」よりも「誰がやるか」にご執心のようで、寂しくなる。

2011年6月9日

新しい政治を作って欲しいという期待(H23.6.9)

6月9日は、梅雨の合間の晴天。地域で皆さんとお話していると、「新しい政治を作って欲しい」という期待が大きい。この日お邪魔した守谷市の平野寿朗市会議員もその1人。もともとは社会党で活動してこられたが、今の政治の軽佻浮薄、口先だけのパフォーマンスに辟易されている。党派云々ではなく、私には、行政や国会での経験を踏まえながら、しっかり市民の皆様の声を聞き、まともな政治を作って欲しいと、心から心配もし、期待していただく。ありがとうございました。

2011年6月5日

地に足のついた活動こそ大切(H23.6.5)

6月5日は自民党守谷支部総会。この支部は、昨年、それまで支部長を務めていた県会議員が突然離党してしまったため、組織の基盤が脆弱になってしまった。ポスト菅の政局では、自民党も、期限を限って与党に協力することになろうが、年末か来春には、日本の将来像を争点に、決戦の時を迎えることとなろう。それまでの間、地に足のついた活動を徹底し、国民目線の政治を実現することができるよう、草の根の活動を展開していきたい。支部の再出発の日に、そんな思いを込めて挨拶をする。

2011年6月4日

政治はもっと国民のことを考えよ(H23.6.4)

6月2日の内閣不信任案否決騒ぎと、それに続く菅総理の辞める辞めない騒動は、国民の政治不信を極限まで高めている。前総理が現総理を「ペテン師」呼ばわりするに至っては、日本の恥さらしも良いところだ。退陣を表明した首相が即刻辞任するのは当然としても、我々野にある者が、震災復興のため与党に協力することは全くやぶさかではない。この日の街頭では、菅氏の早期退陣を求めた上、切れ目内補正予算編成のため、しっかり協力する用意があることを訴え、その後、震災復興に一定のメドがついた段階で、強い政権造りのための解散総選挙の必要性を訴えた。

2011年6月2日

茶番は止めて政治の立て直しを(H23.6.2)

6月2日は雨。午前中は、小雨の中、地域の皆さんの声を聞いて回る。午後は内閣不信任案採決。野党が不信任に賛成するのは当然としても、この数日、民主党内は造反するのしないの、大騒ぎだった。結局、いつ辞めるのか明言しない菅氏の「辞任表明」を受け、民主党が結束するという茶番劇の末不信任案は否決。政権の求心力も、実行力も失った菅政権が、しばらく続くことになった。これでは、震災復興がさらに遅れ、国民の政治不信がさらに高まることが懸念される。日本政治の立て直しのため、地に足のついた活動を行う必要を痛感する。

2011年5月31日

インドネシア国家警察省局長らと(H23.5.31)

5月31日、来日中のインドネシア国家警察省の幹部(私の右からプラスティヨ人材開発局長、イマム治安確率局長、ウグロセノ教育訓練局長)の歓迎の会食を持つ。インドネシア警察とわが国警察とは、交番の輸出を縁に関係が深い。私が警察担当書記官としてインドネシアに駐在したのはおよそ15年前だが、こうした人脈を大切にしておくことが、外交に厚みを持たせる上で大切なことと思う。しかもインドネシアは、アジアでは、中国・インドに次ぐ人口大国であるとともに、イスラム国家としても最大の人口を擁する極めて大切な国だ。

2011年5月29日

茨城県トランポリン協会総会(H23.5.29)

5月29日、私が会長を勤める茨城県トランポリン協会の総会。トランポリンの競技人口はまだまだ少ないが、茨城県のレベルは高い。先の全国大会でも、17~18歳の部で、茨城県勢が1位と3位を占め、11月の世界選手権(バーミンガム)への出場が決まった。本年は、震災の影響や避難所としての提供のため、各地の体育館がトランポリン競技に使用できないなど、何かとハンディがあったが、オリンピックではわが国がメダルを狙うことのできる数少ない種目であり、できるだけ盛り上げていきたいと思う。