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はなし康弘

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2008年2月6日

畜産酪農対策小委員会キックオフ(H20.2.6)

1昨年秋以来のトウモロコシ国際相場の高騰は、家畜のエサとなる配合飼料の価格を急激に押し上げ、全国の畜産・酪農農家の経営を直撃している。この、「平成の畜産危機」とも言われる状況に対処するため、2月6日、わが党は、「畜産酪農小委員会」の議論を、例年よりも1月以上前倒ししてスタートさせ、大胆かつ細心な対策を施していくこととした。私が3年連続の委員長として対策の取りまとめに当たるが、正直、今年の舵取り役は相当な大仕事。しかし、強い農業基盤確立のため、労を惜しまない覚悟だ。

2008年2月5日

つくばエキスプレス利用・建設促進議連(H20.2.5)

2月5日、私が事務局長を務める「つくばエキスプレス利用建設促進議員連盟」の総会を開催。沿線の面整備(都市開発)の状況や東京駅延伸計画の進捗状況について、国土交通省や関係都府県等から説明を聴取する。東京駅延伸の早期実現のため、積極的な活動を展開していきたい。写真は、沿線5市(つくば、つくばみらい、守谷、柏、流山)の市長から、TXの東京駅延伸に向けた要望書を受け取る丹羽・議連会長。左端が私。

2008年2月3日

南九州畜産・酪農調査(H20.2.3)

2月3日は、畜産・酪農対策小委員長として南九州・鹿児島県の安楽牧場へ。ご夫婦による家族労働の、繁殖・肥育牛農家だ。小委員長としては3年目になる現地調査だが、本年は、国会対策副委員長を兼務しているため、平日に食い込んでの出張ができない。ただ、この日は東京が大雪で日帰りのはずが、帰りの便が欠航。急きょ鹿児島泊まりに日程変更、翌日朝一番の飛行機で帰京することになった。コンビニで、シャツとパンツと靴下を買った。

2008年1月30日

「つなぎ法案」騒動(H20.1.30)

1月30日、いわゆる「つなぎ法案」の提案者として、総務委員会で答弁。たとえ予算が成立しても、収入である税制法案が成立しなければ、予算が執行できないだけでなく、税率が短期的に乱高下する物品も出てくるため、国民生活に大混乱が生じる。しかし、民主党の中には、「国民生活の混乱を奇禍として解散に追い込む」と息巻く向きもあるようだ。その理不尽さを封じるため、私達は、心ならずも、現在の税法を暫時2ヶ月延長する「つなぎ法案」を提出した。コラムでも述べるが、このような努力が、両院議長あっせんに結実した。 

2008年1月26日

牛久地区国政報告会(H20.1.26)

昨年に引き続き、チラシだけで動員をかけない国政報告会を、牛久市内で開催。それでも、80人を超える方々に集まっていただいた。とかく最近の政局はめまぐるしい。政策課題も山積だ。国会対策副委員長の仕事は、まあ気苦労を背負う仕事ではあるが、そのかわり、テレビ、新聞では知り得ない裏話を知り得る立場ではある。そして、野党民主党の主張が、いかにデタラメで非実現不可能であるかということも良く分かる。この日は、報道されないエピソードを交えつつ、じっくりと国政の課題を解説。

2008年1月24日

養豚サミット(H20.1.24)

1月24日、全国の養豚農家、関係団体を集めた「新春養豚サミット」が開かれ、自民党畜産・酪農対策小委員長として挨拶。昨年、一昨年に引き続いての役目だが、今年は特に、畜産の現場は、トウモロコシ価格急騰に伴う空前の飼料高に苦悩している。このため、例年は3月に開かれる畜産・酪農対策小委員会を、本年は2月6日から、前倒しで行い、必要な対策を早期に打ち出し、頑張る農家を応援していくこととした。この日は、責任与党として、「人間の心を持った政策」を遂行していく決意を述べる。

2008年1月23日

コミュニティ活動基本法骨子案を諮る(H20.1.23)

1月23日早朝は、取手駅で電車に乗ったときは雨だったが、国会議事堂前駅を出たら大雪。午前8時からの地方行政調査会総会で、コミュニティ活動基本法骨子案を諮る。これは、町内会・自治会など、住民の主体的なコミュニティ活動に光を当てるもので、昨年来、私が素案の作成を進めてきたものだ。既に公明党にも話をもちかけ、非公式に民主党の方とも相談をしている。内容については、しかるべき時期にコラムに書くが、できればこの国会で成立させたいと思う。

2008年1月19日

日本青年会議所京都会議(2)(H20.1.19)

会議では、既に法律で設置が義務づけられている両院の憲法審査会が、主として民主党のサボタージュでスタートできない現状に、危惧を呈した。そのくせ、前国会の給油新法審議では、「国連(国連は決して「世界政府」ではなく、軍事同盟を前提とする「連合国」)決議があれば自衛隊のあらゆる国際活動が可能になる」という、小沢一郎流の、極めて危険な憲法解釈の是非については、全く議論が深まらなかった。これは、国会の自殺行為だ。この日は、早朝取手発、夕刻取手着の強行日程だったが、国民理解の醸成こそ大切との思いから、会議に参加させていただいた。

2008年1月19日

日本青年会議所京都会議(1)(H20.1.19)

1月19日は、早朝5時54分取手発の常磐線で上京、さらに新幹線で京都へ。午前10時40分から、日本青年会議所京都会議(年初の定例総会、全国から約1万人の青年会議所会員が集まる。)の「憲法タウンミーティング」に、バネリストとして参加。写真は、壇上左から、コーディネーターの日本青年会議所の中村副会頭、パネリストの辻元清美衆院議員(社民)、そしてやはりパネリストの私。約1時間強のパネルディスカッションだったが、相当実のある議論ができたと思う。その内容は、後日コラムでも報告する。

2008年1月18日

インド洋給油新法・衆議院の再可決で成立~首の皮一枚つながった日本への信頼

賛成票を投じる葉梨康弘

1月11日の衆議院本会議。
この日の午前中に参議院本会議で否決された、いわゆる「インド洋給油新法」が、自・公の与党のほか、何人かの無所属議員の賛成により、出席議員の3分の2の賛成を得て衆議院で再可決、成立した。
衆参両院の議決が異なる法律案について、憲法第59条第2項の規定により、衆議院が優越権を行使したのは、実に57年振りのことだ。
ただ、我が国が、「テロとの戦い」から離脱する期間が少しでも長引くと、後でも述べるように、国際社会が日本という国に寄せる信頼を大きく損ないかねない。
その意味で、私は、11日の再可決は、やむを得なかったと思うし、日本が、自国民の命を守ることができる国であることを、滑り込みセーフで、世界に示すことができたと考えている。まず、イラクへの復興支援協力と、アフガニスタン関連の給油活動への参加が、テレビなどで、「いずれもアメリカへのお付き合い」などと、ごっちゃにされてとりあげられることがあるが、これは、明白かつ重大な誤解だ。
すなわち、当時のイラクの大統領、サダム・フセインは、確かに大変な独裁者であったが、1人の日本人も殺害していない。
しかしながら、タリバン・アルカイダは、明らかに、日本国民を狙った大量殺害行為を敢行した。