日本人自身の問題として考える「靖国」(1)~中国の要求を容認することの危険

2005-6-26

ちょっと、靖国神社の問題を考えてみよう。

硫黄島~大きな示唆を与えてくれた

総理の靖国参拝を巡り、日中・日韓の関係がぎくしゃくしている。

特に中国の強硬な要求が目につくが、参拝自体については、わが国でも、世論が割れているのが実状だ。

私は、「外交上の配慮」で靖国参拝を中止すべきという論には与さない。
ただ、1政治家として考えたとき、負け戦を指導し、わが国や近隣諸国の国民に塗炭の苦しみを味あわせた政治家も祀られている神社を、日本人として、無条件に奉賛することの問題も考えなければならない。

私がこのような確信を持ったのは、昨年訪れた硫黄島だった(視察記は、政策レポート「国土と国民を守る責任」にアップ。)。

もう少し詳しく述べてみよう。まず、昨今の中国の対日姿勢。

実は、これが靖国問題の解決を難しくしている。

例を挙げれば、
○「沖の鳥島は岩」、「東シナ海中間線は無効」などの、国際海洋法条約を無視した主張
○尖閣諸島への武力行使も臭わせる反国家分裂法の制定
○中国原潜によるわが国の領海侵犯
○日本国大使館等を標的とした暴力行為への謝罪の拒否
等々、国際法の常識からも、極めて理不尽だ。

かつて、1994年から1997年まで、私がインドネシアに駐在していた当時、中国が、南シナ海に浮かぶ南沙・西沙群島の領有権を強引に主張するという事件があった。

東南アジア諸国国民は、「中国は、(近隣諸国を属国と見る)朝貢体制への回帰を目論んでいるのでは」と真剣に恐れていた。
そんな覇権主義的な要求が、最近では日本にも及んでいるといった印象だ。

これに、
○(A級戦犯合祀の)靖国神社に対する総理の参拝中止
の要求が加わる。

実は、靖国参拝中止要求だけをとれば、昭和47年の日中国交正常化以来の、中国政府による中国国民向け説明の経緯を考えると、気持ちが全く理解できないことではない。
彼らにしてみれば、戦争を遂行した「一部の軍国主義者」を、日中双方の国民の「共通の敵」という認識を共有できたからこそ、国交を正常化できたという思いがある。

だから、わが国の側も、中国の要求を「内政干渉」と突っぱねると、足をすくわれる。
やはり、、諸外国に理解可能な丁寧な説明を行う必要性があると考えるが、そのことは、次回のコラムで述べる。

しかし、「中国への配慮」という理由で、総理の靖国参拝の中止を求めることは、政治的には賢明でない。

なぜなら、先に述べたような要求を見ると、全体として、現在の中国の対日要求レベルは尋常でないからだ(かつて日本が中国に対して行った「21箇条要求」も彷彿とさせる。)。
そして、靖国の問題以前から、既にわが国の国民の間に、相当な嫌中感情が広っている。

今、靖国問題について中国の要求をそのまま容認することは、中国による他の対日要求を正当化する危惧とともに、国内嫌中世論高揚の懸念も生じる。これは、政治的には明かな愚策と思う。

だから、わが国も、中国外交当局に対し、理不尽な対日強硬姿勢の継続は、国際的・政治的に、中国にとって何の得るところはなく、靖国問題についても、その解決の芽を摘んでしまうことを、冷静に分析させるよう促すべきだ。

でも、国会でわが国外交の足を引っ張らないことも大切。
先の国会論戦で、民主党の岡田代表、官僚エリート臭をプンプンさせながら、小泉総理に対し「(外交関係を考えて)靖国参拝をやめろ」と叫んでいた。
彼は、靖国問題をなぜ、外交問題として考えたがるのだろう。
そういえば瀋陽総領事館への中国公安警察不法立ち入り事件時、民主党は、代表団を中国に派遣し、わが国外務省の不手際を言いつのり、敵に塩を送りまくっていた。

靖国の問題は、本来、日本人自身の問題として考えるべきだ。
このことは次回のコラムで述べる。