真の「改革農家」を創るために~「農家」と「政治」の共同作業

2005-10-17

10月14日付の日本農業新聞、私の発言が掲載されたので、ちょっと引用する。

葉梨康弘の発言を報じる日本農業新聞

「農政改革の要となる品目横断的な経営安定対策(日本型直接支払い)を具体化する自民党農業基本政策小委員会が13日、東京、永田町の党本部で開かれた。
(直接支払いの対象となる「担い手」の要件設定についての)議員の警戒感は強い。このため、(中略)柔軟な取り扱いを求める意見も相次いだ。
一方で、「農政も護送船団方式でなく、しっかり農業をやる人を評価しようという流れにある」(後藤田正純氏)「生産性向上のための改革だという観点を外すべきではない」(葉梨康弘氏)など、若手を中心に構造改革の加速を迫る意見が勢いを増す。
改革を進めなければ、農政に対する幅広い国民の理解は得られないと言う危機感があるからだ。」
しっかりした農地と農業を後生に引き継ぐため、今、農政は転機にある。古来「豊葦原(とよあしはら)瑞穂(みずほ)の国」と称されてきたわが国では、穀類中心の、労働集約的な農業が営まれてきた。
国民の食生活も、「一汁一菜」のほかは主食の穀類を食し、地域の祭りも、五穀豊穣を願うものだった。

しかし、戦後の経済発展の中、生産手段の面では、山がちな地形が農地集約の妨げになり、また、国民所得の向上が労働コストの増大をもたらし、農業の生産性は急激に下がっていった。

そして、消費の面でも、食生活の劇的変化により、穀類への需要は低下、消費者の嗜好も、輸入食材に大きくシフトするようになる。

このような、生産・消費の両面で問題に加え、大幅円高の追い打ちもあった。
これでは、どんなに生産性向上の努力をしても、わが国の農業は、生産性の面から、米国のような大規模農業や途上国のような低賃金農業に太刀打ちできようはずがない。

でも、農業は、国土保全や、安全保障のために、不可欠であり、やはり税金を使ってでも、保護していかなければならない。
実は、ここまでの考え方については、民主党を初めとする「バラマキ派」も、私たちのような「改革派」も、大きな違いはない。

しかし、一口に「保護」と言っても、その手法が違う。
1つの方法は、生産性の向上や構造改革への努力にはに目をつむり、全ての農家に「バラマク」ことだ。
例えば、民主党の農業プランによれば、小規模農家も含めた全ての農家に年間1戸当たり50万円の所得保障をするという。
でも、一生懸命生産した農作物が、高値で売りさばける保障はない。下手をすれば豊作貧乏だ。
だから、確実にリスクを避けるためには、農家は、所得保障がもらえる最低要件を満たす程度にチョボチョボ農業をやり、新たな設備投資はしない方が得という場合も出てくる。
このように、「バラマキ補助金」は、「農家のフトコロの足し」としては役立つが、結果的に農業を衰退させかねない。。
そして、私自身は、従来の農業補助金のあり方(「減反すればお金が貰える」等)自体が、わが国の農業の足腰を弱めてきた面があることを、率直に反省すべきではないかと思う。

もう1つの方法が、やる気のある農家を徹底的に育てること。
先にも述べたように、わが国の農業は、確かに、色々な条件の中で、どうころんでも諸外国と太刀打ちできる生産性を獲得することはできない。
でも、だからといって、努力することは決してムダではない。
農業は保護されなければらないが、保護されていることに甘えてもいては、いつまでたっても補助金漬け体質から脱却できない。
実は、わが国のような地理・気象条件でも、一定限度の生産性の向上は可能だ。
例えば、コメ作りの生産性は、農水官僚からの耳学問だが、現在米国を10とすれば、日本は2程度だという。でも、日本でも、規模拡大や集落単位の営農などの改革の努力をすれば、4~5位までいくということだ。
そうであれば、可能な限り生産性を上げていこうという真の「改革農家」に対しては、優先的に保護の手をさしのべるべきだ。
この場合、保護対象となる「改革農家」の要件のハードルは、決して甘くはない。
勿論、中山間地などの地域性への配慮や、多くの農家に意識改革が浸透するまでの経過措置も必要だし、重要なことだ。現場の声を踏まえ、現実に、農家が安心できる施策を展開していく必要がある。
ただ、いうまでもなく、「改革農家」を保護するという基本線を外しては、やはり、農政への幅広い国民の支持は得られない。

また、そういう努力をしても、どうせ米国と日本の生産性の差は埋めようがないという反論もある。
しかし、このような、農家がどう努力しても解決し得ない問題に対処することこそが、政治の役割ではないか。
だからこそ、WTO(世界貿易機構)などの場での議員外交が極めて重要になってくる。

日本の農業を守り、農地を守ることは、待ったなしの課題だ。
そのために、「農家」と「政治」は、しっかりとした共同作業をしていかなければならないと思う。