直接民主制がはらむ「危険」~憲法改正に焦点を当てた国民投票制度の構築を

2006-2-24

2月23日の憲法調査特別委員会。

国民投票制度視察結果を報告

私は、欧州5カ国の国民投票制度視察調査団(昨年11月、中山太郎委員長を団長に、自・民・公・社・共の8名の議員が参加。)の一員として、公式の視察報告を行った。
その中では、憲法改正国民投票制度の制度設計に当たっての具体的な論点についても言及したが、この点について、今日はふれない。
委員会では、私から、このような具体的論点に加え、「国民投票」という「直接民主制的手法」を、実施していくに当たっては、直接民主制がはらむ「危険性」を払拭することを考える必要性を申し上げた。
かつて、「首相公選制」の是非が議論になったことがあったが、
我が国では、全国レベルでの直接選挙・投票は行われていない。
だから、与党が今国会での成立を期している「憲法改正国民投票法案」は、我が国が、歴史上初めて持つこととなる「直接民主制的制度」だ。
我々は、政治家の責任として、これが「悪用」されないシステムを、しっかりと確立していかなければならない。私たち調査団が、独立後約10年という、若い国であるスロバキア共和国を訪れた際、当地のドルゴネッツ憲法委員長は、「国民投票制度」のことを、「重要な政治的ツール(道具)である。」と評していた。
事実、歴史をみると、「国民投票」の結果が、その国のあるべき方向性と異なっているのではと思われるような例も散見される。

まず、「国民投票」という方式は、独裁者に利用されやすいということがある。
国民投票について長い歴史を持つフランスでは、例えば、ナポレオン3世の治世やドゴール政権時、国民投票が多用された。
これらの国民投票の多くは、政権に対する信任投票だったが、結果的に、議会の勢力がそがれ、独裁的な権力を強化することとなった。

次に、「国民投票」の投票行動は、政策課題についての客観的な評価というよりも、政権や指導者の大衆的人気、ポピュリズムに左右されやすいということもある。
例えば、戦後オーストリアでは、原子力発電開発再開という課題が、国民投票で否決されたが、このときは、原発の可否というよりも、再開を提案した政権を信任するか、退陣させるかという問題が、国民の大きな判断要素になったとされている。

我が国に「国民投票制度」を導入する場合には、「国民投票」が、独裁者に利用されたり、ポピュリズムに流れることがないよう、細心の注意を払っていくことが必要だ。

この点について、「国民投票制度」の世界的権威である、スイス・ベルン大学のリンダー教授は、私の質問に対し、

○国民投票の提起に当たっては、政府の恣意が入ることがあってはならない。与野党の協議や国民のイニシアチブを大切にすべきである。

○国民投票は、冷静な環境の下で行われる必要がある。だから、内戦などの騒乱時は避けるべきである。

といったアドバイスをされていた。
重く受け止めていかなければならない指摘だ。

実は、私個人としては、重要な国政課題について、直接民主制的な手法を導入し、国民の声を直接聞いてみたいという誘惑はある。
ただ、我が国には、今まで全国レベルの直接民主制を実施した経験や政治文化はない。

制度設計には慎重を期すことが必要だ。
だから、私は、今の時点で、憲法に規定された憲法改正という場面以外に、一般の国政課題についても、国民投票制度をもうけるべきという意見には、現実問題として、必ずしも賛同しない。

やはり、まずは「憲法改正」という課題に焦点を当て、課題を絞った形で、しっかりした「国民投票制度」を構築していくことが適切なような気がする。