アフガン支援660億円増額でも薄れる日本の存在~インド洋給油停止こそ税金のムダ遣い

2010-1-12

おカネだけでの貢献は尊敬を勝ち得ない

1月15日、テロ対策特別措置法の失効により、2001年12月から約8年間にわたった海上自衛隊によるインド洋における給油支援活動が停止されることになる。
この給油支援活動は、もとより武力行使を伴うものではないが、9.11テロで24人の同胞を殺害されたわが国が、やはり同胞を殺害された他の国とともに、「テロとの戦い」に加わっていることを示す、重要な人的貢献だった。
そして、インド洋での給油支援活動は、摂氏80度に達する酷暑の中、極めて精緻な技術を必要とするもので、テロ活動の警戒に当たる外国艦船から大変感謝され、諸外国の評価も極めて高かった。
さて今、アフガン情勢は、国際テロ組織アルカイダと結ぶタリバン勢力が再びその勢力を増し、対するカルザイ政権は、不正選挙疑惑がささやかれ、足元が極めて不安定化な状況だ。
これを受け、オバマ米大統領も、昨年12月、アフガンへの3万人の米軍増派という苦渋の決断を行ったばかりだ。
この段階で、わが国が「汗をかくことをヤメル」ことが何を意味するか。
案の定、そのつけは、国民が税金で支払わされることとなった。(「湾岸戦争の教訓」とは)

イラクにしても、アフガンにしても、自衛隊の海外派遣が話題となる際、良く、「湾岸戦争の教訓」ということが言われる。
1991年の湾岸戦争(イラクの侵略に対抗し、国連決議に基づく多国籍軍がクウェートを解放)に際し、わが国は、130億ドル(当時1兆5~7千億円)の戦費等の提供を行った(海部内閣時、橋本蔵相、小沢幹事長が主導)。
しかし、それにもかかわらず、多国籍軍参加国等からは、カネを出すだけの姿勢が非難され、しかも、戦後、クウェート政府が感謝決議を行った国に、わが国は含まれなかった。
お金だけでは感謝されない、人的貢献が重要という教訓だ。
さらに、今回のアフガン問題の場合、湾岸戦争とは別の要素として、9.11テロにおいては、わが国の国民24人が明確な殺意をもって殺害されているという事情が加わる。

(「汗をかき」、「感謝されてきた」日本)

2001年9月11日、アフガンの地域政権タリバンに支援されたアルカイダによる、いわゆる「同時多発テロ」が敢行された。
日本人24人を含む約6000人が犠牲となった事態に、国際社会は迅速に対処、いわゆる「テロとの戦い」が始まった。

わが国も、2001年12月以来、憲法上武力の行使はできないという制約の下で、「テロとの戦い」に加わり、具体的には、金銭面での援助である民生支援(年間2.5億ドル≒250億円)と、冒頭述べた給油支援活動を行い、大変感謝されてきた。

(給油支援活動は8年間で715億円)

このインド洋での給油支援活動にかかった費用は、燃料代が年間40億円弱、人件費・活動費の総額は、715億円ということだ。
2007年参院選後、参議院で多数を握った民主党は、給油活動を継続する法律案に反対、給油活動は11月に一旦中断し、翌年の1月、衆議院の再可決という方法を用い、給油活動再開の法案が成立した。
当時私は、テロ特委員会担当の国会対策副委員長だったが、民主党の方々が、「給油はムダ」、「アメリカに油をタダでやるならガソリン下げろ」と声高に叫んでいたことを、昨日のように憶えている。
しかし、この給油支援活動、民主党の皆さんが言われたように、ムダだったのだろうか。

(給油停止の代償は税金660億円積み増し)

給油支援に要する年間の費用は約90億円、民生支援の250億円とあわせ、わが国は、これまで8年の間、毎年340億円の税金をアフガンに投下することで、国際的な信頼を勝ち得てきた。
鳩山政権になって、インド洋の給油支援活動は停止されることとなった(なお、わが国のかわりに、どうも中国海軍が、給油支援に名乗りを上げるらしい)。
ただ、国際社会が、わが国が自分勝手に降板することを許すはずがない。そんなことをしたら、日米関係の悪化云々などというよりも、わが国は、まともな国として扱われなくなってしまう。
そして、鳩山政権が頼ったのは、結局国民の税金だった。
昨年11月、オバマ大統領の来日直前、鳩山政権は、インド洋給油をヤメルかわりに、毎年2.5億ドル≒250億円だった民生支援を、今後5年間は、毎年10億ドル≒1000億円に増額することを表明するハメになった。

(「民生支援への転換」でテロ組織はわが国に好意を持つか?)

一部の方々は、「『国際機関を通じての民生支援に転換』したことで、わが国は、テロ組織から敵視される存在でなくなり、和平へのリーダーシップを握ることができる。」と主張するかも知れない。
しかしそれは幻想だ。
確かに、民生支援は、国連開発計画(という組織)を通じてなされる。
しかし、例えば、アフガン警察官の給与相当分の支援が民生支援の柱になっていることからも明らかなように、実際にお金を使う場面で、現地政府を外すことはできない。
そのカルザイ政権、昨年10月の大統領選挙不正疑惑を抱えながらタリバンと対峙しているが、汚職疑惑等も後を絶たない。
そして、「民生支援」といわれるお金が、どう使われるのか、検証の道もないという。
テロ組織の側から見れば、「米国の傀儡政権」である現政権に、年間1000億円もの援助を行う国に、好意を持つことができるのだろうか。

(血税を浪費する「世界のATM」で本当に良いのか)

アメリカにしてみれば、もしかしたら、給油支援はどうも中国が肩代わりしてくれそうだし、来年3万人の地上軍を増派するに当たり、現地住民との良好な関係を維持する上からも(悪い言葉で言えば懐柔)、この「民生支援」のお金は使い勝手が良いと言う面もあろう。
でも、日本にとっては明かなマイナスだ。
何よりも、毎年660億円の血税(これだけのお金があれば、後期高齢者の医療保険料を、年金天引きなどせずに無料にできる!!)を使って、再び、国際的にはカネを出すだけの存在として、「世界のATM」と呼ばれる道を選ぶのは、それこそ税金のムダ遣いではないのか。

私は、このような対アフガン援助増額という措置を、是非「事業仕分け」の対象にして欲しかったと考えている。
そして、このような国際貢献に当たり、どのような税金の使い方が効率的か、今後、ホームページの「政策」をリニューアルさせることなどにより、私なりの考え方を提示していきたい。