「公立高校無償化」への疑問~小中学校の耐震改修を遅らせてまで実施すべき代物か?

2010-3-13

会合の挨拶で公教育の将来への懸念を表明

3月12日、民主党などは、衆議院の委員会での質疑が続いているにもかかわらず、公立高校の授業料を無償化する法案を、質疑を一方的に打ち切った上、委員会採決に踏み切った。
委員会での質疑時間は参考人質疑も含めて20時間強、重要法案の採決には、最低でも30時間の質疑時間を確保してきたこれまでの例からすると、そのスピード振りは際立っている。
何よりも、この法案についての多くの疑問点が、衆議院の委員会の質疑で明らかにすることができたのかどうか、首を傾げる点も多い。
私は、参議院での徹底的な議論による修正等がなければ、日本の教育の将来に禍根を残すおそれが高いと考えている。
疑問点をいくつか列挙しよう。1授業料免除の所得制限引き上げでは何故ダメなのか?

公立高校生の子どもを持つ親からすれば、公立高校の授業料がタダになれば、単純に「うれしい」し、これが、選挙戦術からしても、「票に結びつく政策」であることは間違いない。
でも、それが日本の将来のために正しい政策かどうかは別だ。

確かにわが国の高校進学率(全日制)は94.4%、ほとんどの生徒が高校に進学しており、この数字はここ10年間変わっていない。
この数字は、OECD加盟諸国の中では、韓国(99.3%)に次ぎ、米仏(90%未満)、独(85%未満)、英(75%未満)よりもはるかに高い。
現政権に、高校進学率を韓国(男子には19歳からの兵役があり、社会人として活動するのは兵役後で、それまでは学校でという意識があるように思われる。)並に引き上げようという意思があるかどうかは分からないが、私は、わが国の高校進学率を、今よりも上げる必然性はないように思う。

中学を卒業して、自らの意思でモノづくりを目指す少年は、私は立派だと思う。
そして、今私たちが考えなければならないことは、高校で是非とも勉強したいけれども、経済的理由などで高校に行けない子どもを、どうやって高校に行かせようかということではないか。

その意味で、現在年収250万円(月20万円の給与相当)に適用されている高校授業料免除を、例えば年収400万円(月30万円の給与相当)程度に引き上げることについては私は大賛成で、予算額も、多分高校授業料無償化のための予算(年間4000億)の数分の1で済むはずだ。
でも、所得の高低にかかわらず、一律に公立高校の授業料を無償化することは、確かに高校進学率を韓国並に引き上げることには寄与するかもしれないが、勉強する意思に乏しい腰掛け的な高校生を生み出す危険性は否定できない。

今の国会、目先のニンジンの議論は得意だが、何故そもそも論の議論がないのか。私には不思議だ。

2小中学校の耐震改修を遅らせてまで実施すべき代物か?

それでも、国にお金があり余っているのならば、中学を卒業して社会人の道に進む少年に対する職場での教育訓練も支援することとあわせて、高校の授業料を無償化するという選択も有り得ないわけではないだろう。
しかし、今、国の財政は火の車、高校授業料無償化の財源を確保するためには、他の文教関係予算を削らなければならない。
そして、「コンクリートからヒトへ」のかけ声の下、目を付けられたのが、文教関係公共事業、わけても、小中学校の耐震改修予算だ。
民主党政権は、今回、この耐震改修予算を昨年比2800億円マイナスとし、約4000億円かかる公立高校授業料無償化の7割の財源を確保した。

いうまでもなく、日本は地震国だ。
小中学校が地震で倒壊するようでは、子どもが安心して勉強することはできないし、さらに、地震発生時の地域の避難場所の確保にもこと欠くことになる。
だからこそ、この数年、自民党政権は、国の予算を増額し、自治体の負担軽減を図るなどして、小中学校の耐震改修を緊急の課題として促進してきたわけだし、そのペースを遅らせることは、決して好ましいことではない。

確かに子どもたちには選挙権はないから、子どもたちの安全を多少犠牲にして、高校生の子どもを持つ親(選挙権有)の目の前にニンジンをぶらさげれば、選挙には有利かもしれない。
しかし、本当にそれでよいのか。
今回の公立高校授業料無償化は、小中学校の耐震改修を遅らせてまで実施すべき代物とは、私には思えない。

3私立高校授業料補助は所得の高低で差をつける不思議

民主党政権は、公立高校の授業料を無償化する一方、子どもを私立高校に通わせる世帯に対しても、「援助」を行うこととしている。
ただ、公立高校授業料無償化では一切顧みられなかった「所得の高低」の要素が、援助額の大小を大きく左右することになる。
すなわち、年収500万円以上の世帯には私立高校生1人当たり年間12万円、それ未満の世帯には、年間24万円ということだ。

そして、この援助金の交付は、私立高校に対して直接行われるため、学校の側からすれば、相当な事務量が増加するだけでなく、生徒の親の年収を把握しなければならないという頭の痛い問題も起こってくる。
これも、私としては、例えば年収400万円、あるいは500万円でもいいが、それ未満の世帯は、親からの申請により、学費を月1~2万円免除し、その免除分を国が負担するといった制度設計としておけば良かったのにと思うが、何故このような制度設計となったのか、その不思議さは、委員会の議論を見ていても、氷解したとは言い難い。

ざっと列挙しただけで、公立高校授業料の無償化には大きな疑問点がある。
しかも、最近では、このほかに、教職員労働組合の政治活動を巡る不祥事が報道されたり、官邸の指示によって教員の給与関係予算が、「事業仕分け」の対象外の「聖域」とされたと報じられるなど、日本の「教育」が、本当に大丈夫なのかという思いを持つのは、私だけではあるまい。
その意味でも、国会での徹底した議論を望みたい。

もちろん、大いに議論した上、いつかは採決しなければことは進まない。
しかし、これだけ大きな問題を孕む法律案を、20時間強という不十分な委員会審議程度で質疑を打ち切り、議論を拒否して、数を頼みに採決してしまう姿勢は、民主主義の自殺以外の何ものでもない。