「脱原発」の「政治争点化」は本当に正しいのか~客観的科学的評価こそが大切では

2012-12-1

脱原発依存のための危機管理対策の確立を訴える

11月16日の衆議院解散直後から、いわゆる「第3極」勢力の離合集散がめまぐるしい。
対立軸は余り明確でないが、どうやら、政策面では、「消費増税に反対か否か」、「TPP交渉参加に反対か否か」、「脱原発か否か」などが、結集の軸になっているようだ。
それぞれの問題について、私も考えるところがあるが、今回は、原発をどうするかと言う問題について書く。
福島第1原発の事故は、わが国に大きな傷跡を残した。
原発周辺の住民は、今も故郷に帰ることはできず、わが茨城県を含め、多くの農業者、旅館経営者等が、風評被害に苦しんでいる。
私の住む取手市も「ホットスポット」と言われ、放射能の被害に恐れを抱く住民も多い。そして、小学生の娘を持つ私もその1人だ。「脱原発依存」は当然

私たちは、原発事故が、極めて甚大な被害をもたらす現実を目の当たりにした。
だから、エネルギーで政策の中で、原発への依存を減らしていく、いわゆる「脱原発依存」は、国民のコンセンサスだと思うし、私も、「脱原発依存」を推進する立場だ。
ただ、勿論福島原発事故についての徹底的な検証を経た上でのことではあるが、現在のエネルギー需給の状況に鑑み、当面、科学者が客観的に判断し、安全と認められる一部の原発を再稼働させることは、ある程度やむを得ないのではないかと思う。
そして、この点については、2030年代末までに原発ゼロを目指す民主党政権や、「卒原発」を掲げる政治勢力も、おおむね同じ立場だ。
加えて、私自身は、当面、一部の原発の再稼働させるという判断を行うに際しては、政治の責任として、
1つは、安全性を判断する科学者の議論に「政治的な圧力」を加えることなく、公正な結論を得ること。
2つは、周辺自治体との綿密な調整を行い、危機管理対策を確立すること
の2点が大切と考える。

安全に制御できないエネルギーからは撤退しなければならない

その上で、では長期的に、わが国の原発をどうしていくかという問題が残る。
ただ、ここで申し上げたいのは、長期的に見て、「安全に制御できず、制御不可能になった場合に国民に甚大な被害ももたらすようなエネルギー」を利用し続けることはできないということだ。
この見解については、多分、原発反対派も、原発維持派も異論は無いはずで、選挙の争点以前の問題だと思う。
国益の優先順位は、国民の命だ。本当に危険なものからは、経済合理性がどうであれ、撤退しなければならない。

徹底的な研究の後、科学的・客観的判断を

ただ、これまで、原発の安全性は、「神話」の中で語られてきた。
安全設計についての研究開発を怠っていた面もあったように思う。
それではダメだ。
私は、今後おおむね10年程度の期間を、「神話」を作るのでなく、客観的な2つの研究開発を行う重点期間とすべきと考える。
第1の研究開発は、再生可能エネルギーの実用化の研究開発と事業化に、徹底して取り組むことだ。
原子力よりも安価で、安全なクリーンエネルギーが安定的に確保できるならば、もとよれそれに越したことはない。
第2の研究開発は、原子力の安全性に関する基礎研究等を、充実加速させていくことだ。
科学技術は、私たちが想像できないスピードで進歩している。
今なすべきことは、重点的かつ徹底的な研究開発を行うことではないか。
その上で、科学的な判断を行った結果として、原発についての安全性が確認できないということであれば、いさぎよく撤退を図れば良い。
ただ、今の時点で、約20年後の原発依存ゼロを決めなければならないとする民主党政権の考えは、いささか性急すぎるような気がする。
「脱原発」の問題は、政治の争点としてではなく、科学的判断の中で語られるべき問題ではなかろうか。