55年体制・冷戦構造崩壊後15年~政治構造の転換にあわせた新たな憲法を

2006-5-6

パネリストとして憲法問題を語る

5月3日は、現行憲法施行59周年の憲法記念日。
私は、水戸県民センターでの「茨城で考えるこれからの日本・憲法フォーラム」(青年会議所茨城ブロック主催)に、パネリストとして参加した。
コーディネーターは、TVでもおなじみの小林節慶大教授、パネリストは、私のほか、民主党の河村たかし衆院議員、青年会議所茨城ブロックの立原会長というメンバー。
私も、この数ヶ月、「国民投票制度」について発言することが多かったが、この日は、改憲論について、久しぶりに持論を展開した。今日は、その中でも、参加者から、「初めて聞く視点で、大変参考になった」という感想が多かった、9条改憲の必要性について、私の考えを述べてみたい。
結論から言うと、55年体制・冷戦構造崩壊後15年、わが国は、もうそろそろ、政治構造の転換にあわせた新たな憲法を持つべき時が来ているということだ。戦後60年、わが国は、対外武力行使について謙抑的姿勢を貫き、私自身は、国際社会の信頼を勝ち得てきたように思う。
もっとも、国の独立と国民の安全を守るためには、武力行使を含めた強い姿勢が必要であり、そのための軍事力も、平素から保持していなければなるまい。
しかし、今後のわが国のあるべき姿として、「国際的つきあい」の一言で、簡単に、軍隊を地球の裏側まで派遣して良いとは、私は考えない。
やはり、長年培ってきたわが国の平和主義は、大切にすべきだ。

そうした視点から挙げられる第1の問題は、実は、今の憲法9条が、文言上、何とでも解釈できるという点だ。
事実、最近では、現行憲法のままでも、「集団的自衛権の行使は可能」、「武力行使を伴う国際貢献活動に積極的に参加できる」という説も出てきている。
この「解釈改憲論」に立てば、わが国は侵略戦争以外は何でもできることになり、「9条の制約」自体、極めてゆるいものになる。

ただ、戦後、第1党が「自衛隊合憲」を、第2党が「自衛隊違憲」を唱える政治状況が長く続いた。
このような55年体制の状況の下では、「解釈改憲」は、政治的に難しく、それなりの歯止めはあったように思う。

ところが、今は、第1党である自民党も、第2党である民主党も「自衛隊合憲」を主張している。
そして、憲法解釈の連続性という意味では、長く政権の座にある自民党は、やはり今までの政府解釈に縛られる可能性が強いが、はっきり言って、民主党はフリーハンドだ。どんな態度でもとれる。
そこで政権交代があったらどうなるか。
私は、大幅な「解釈改憲」が行われる可能性を危惧している。

このように、今の政治状況だからこそ、与野党が、わが国の軍事力行使の制約原理などについてしっかりと合意し、たとえ政権交代があっても、わが国の基本がぶれないようにしていくことが必要ではあるまいか。

第2は、冷戦終結後、「戦争観」自体が、「主権国家間の戦争」から、「対テロ戦争」へ、急速に変わりつつあるという問題だ。
現行9条は、基本的に、「主権国家間の戦争」を前提としている。

したがって、解釈の仕方によっては、実効支配する地域を有せず、「政府」としての形態をとっていない「テロ組織」に対する武力行使は、基本的には、9条の制約の埒(らち)外ということになる。
だから、「内戦状態」とは言えないが、「テロ組織」が跋扈(ばっこ)している外国に対して、わが国が自衛隊を派遣した場合、自衛隊がどの程度の武力行使を行うことができるのか、現行憲法では、実は良くわからないという問題もあるわけだ。

平和憲法としての憲法9条は、国内における55年体制、国際社会における冷戦構造という枠組みの中で、機能し得た面がある。
実際、自衛隊合憲の立場をとる自民党も、民生部門重視の政策をとるため、「憲法9条の制約」、「社会党の存在」をエキュスキューズ(言い訳)に利用し、自由主義陣営内における軍事費増強圧力をかわしてきたことは、良く知られている。

しかし、55年体制・冷戦構造崩壊後すでに約15年、これまで述べてきたように、これからは、「憲法9条の機能不全」がもたらす、「平和への害悪」の方も考慮していかなければならない。
冒頭の言を繰り返すが、わが国は、もうそろそろ、国内外の政治構造の転換にあわせた、新たな憲法を持たなければならないのではなかろうか。