予算審議過程での誤解10カ条(3)~個別の事業名を載せていない計画は杜撰?今回の計画は大甘?

2008-3-15

中期計画の位置づけを説明

2月25日の予算委員会の質疑についてのコラムの3回目。
今回は、平成20年度予算審議過程で、これは「誤解」ではと思われた10カ条のうち、第7条と第8条。

まず、よくある誤解第7条「今回の『道路の中期計画』は、個別の事業名や工事箇所を明示しておらず、根拠薄弱で杜撰な計画だ」

このような誤解は、野党からの質疑の中でよく見られた。
確かに、つい十年くらい前まで、「公共事業に関する計画」といえば、ときに、具体的な事業名、工事名が記載されるなど、相当具体的なものだった。
しかし、私はこの日、このような「具体的な計画」には弊害があったからこそ、意図的に、「目標の大枠を示すザクッとした計画」に変えたのが、まさに小泉構造改革だったことを指摘した。
このことを、野党の質疑者は、ほとんど理解していない。わが国の道路整備計画は、昭和28年に、「道路整備費の財源等に関する臨時措置法」(現「道路整備費の財源等の特例に関する法律」)が制定され、翌29年から、「道路整備五箇年計画」が策定されるようになったことに始まる。
この計画は、次第に、具体的な事業、特に大規模プロジェクトを盛り込むものとなる。
政府自身、平成13年には、これまでは、費用対効果が甘く見積もられ、その大規模プロジェクトの実現を自己目的化してきた面があったことを、率直に反省している(6月の「骨太の方針」)。

ただ、このような具体的な計画の策定は、ある意味で、「道路官僚」の「力の源泉」となっていたとも言えよう。
毎年の予算獲得時期、各方面からの陳情が役所に押し寄せる。
加えて、計画が具体的であればあるほど、計画の記述如何が具体的道路整備の死命を制することとなるわけで、各方面からの膨大な陳情が役所(や政治家?)に押し寄せる。

例えば、バブル崩壊後の景気後退局面で最初に策定された「第11次道路整備5箇年計画」(平成5年5月、羽田政権により閣議決定)は、
○「大阪湾環状道路」の具体化を初めて明示、現在、民主党からムダな計画の典型と指摘されている「紀淡海峡大橋」の調査を推進。
○渡部恒三衆議院議員が、「政権与党道路調査会長として、第11次道路整備5ヶ年計画の中で会津縦貫北道路・会津縦貫南道路を指定」。(氏のHPより)
するなど、現実に、具体的な事業名を伴うものとなっていた。
そして、このような計画が、時々の「財政状況」や「経済実態」と乖離した硬直性を生み、さらに、「一部の政治家が、地元利益のために計画を私物化している」といった疑念を生じさせることとなった。

「公共事業に関する計画」が「硬直的」で、「一部政治家の利権の温床」という疑念を払拭するため、計画自体を、膨大なデータを基礎としつつも、おおむねの目標を示すに止め、「ザクッとした」ものとしていくこととしたのが、小泉政権による、平成13年6月の「骨太の方針」だった。
そして、個別の事業は、翌年度に優先度の高いものを予算として要求、財政当局による厳格な査定の後、国会で審議されるわけだ。
計画の性質が、かつてのように、具体的事業名を伴うものであれば、「最新データが暫定値でもあるなら、これをもとに計画を作りなおせ」とか「具体的箇所付けを伴った計画にせよ」といった、予算審議過程での民主党の批判は、分からないではない。
しかし、時代は既に、大きく変った。後戻りはすべきでない。
そして、かつて、「公共事業に関する計画」が、「硬直的」とか、「利権の温床」といった批判にさらされ、改革がなされてきた歴史を、我々は忘れてはならないと思う。
余り、「古い時代」の考え方に固執するのもいかがなものか。

よくある誤解第8条「今回の『道路中期計画』は、『選択と集中』とはほど遠く、今までのペースで道路を作り続ける大甘計画」

予算案審議の中では、「10年間で59兆円の道路整備を上限とする」という、「道路の中期計画」が、「59兆円」という金額の多さ故か、「今までと同じようなペースで道路を作り続ける」もので、「選択と集中の考えが無視されている」かのような捉え方をされることも多かった。
今回の「中期計画」が、実は、従来の道路整備計画の中で、最も控え目なものであり、決して、「今までのペースで道路を作り続ける」ものではないという事実関係が全く理解されていない。

事実関係を見てみよう。
まず、平成に入ってからの道路整備計画の、単年度ごとの「計画事業量」や「事業量上限値」を列挙すると、次のようになる。
○昭和63~平成4年1年当たり10.6兆円(計画事業量)
○平成4~9年1年当たり15.2兆円(計画事業量)
○平成9~14年1年当たり15.6兆円(計画事業量)
○平成15~19年1年当たり7.6兆円(事業量上限値)
○平成20~29年(案)1年当たり5.9兆円(事業量上限値)
さらに、物価上昇率を勘案した実質貨幣価値で計算すると、今回の「道路の中期計画」に示された単年度の「事業量」は、ガソリン税の税率が現在の水準になった昭和49年以降の、あらゆる計画の中で最も低い金額となっており、「これまでのペースで道路を作り続ける」ものとは、ほど遠いということが分かる。
加えて、今回の「道路の中期計画」に示された59兆円は、あくまで「事業量上限値」で、実際の支出は、これを下回ることが決められている。
この日の質疑では、資料を示しながら、このような事実関係を明らかにしていった。

いずれにせよ、今回の提案は、従来の計画と比べ、明らかに「控え目」で、「必要な社会資本整備に絞り込んだ計画」にするよう腐心したものと言って良い。

ところが、「数字の印象」というのは真に恐い。
私自身、「59兆円」などという現金を、今まで見たことがない。
見たことがないところに持ってきて、「10年間で59兆円」という数字が踊れば、「そんなにたくさんのお金があるなら、もっと医療や教育に回してくれ」と言いたくなるのも人情だ。
ただ、硬直的な計画をたて、ムダな道路を生み出すことは、絶対に避けなければならないのは当然としても、例えば、救急車による迅速な搬送や学童の通学路の安全を確保するためには、そうはいっても、必要な道路がまだまだあるのも事実だろう。
その意味で、「必要なもの絞り込んだ計画」は、やはり重要だ。

そして、今回の「道路の中期計画」は、事実関係を精査すれば、従来の道路整備計画に比べ、相当に絞り込んだ控え目なもの。
しかし、それにもかかわらず、国会審議の中で、意図的に誤解されてきた印象があり、極めて不幸なことだと思う。(次回コラムに続く)