児童ポルノ禁止法改正案の審議促進を~「こども」の保護を後退させる民主党案

2009-6-15

讀賣新聞紙上での葉梨康弘の主張

6月9日付讀賣新聞「論陣・論客」、ほぼ一面を費やし、児童ポルノ禁止法改正案に関する私と民主党議員との対談が、掲載された。
児童ポルノの問題に、私は、かれこれ12年越しの関わりを持つ。
すなわち、平成9年から11年までの警察庁少年課理事官在籍時、当時議員立法で検討されていた児童買春・児童ポルノ禁止法の制定・立案に、役所の責任者として関わった。
さらに、衆院議員に初当選後の平成16年、インターネット上の児童ポルノ画像を規制する同法改正案の提出に携わり、参議院での答弁も行った。
そして、昨年には、児童の権利保護の観点から児童ポルノについての規制を強化することを内容とする与党改正案の提出者となり、今、国会に臨んでいる。
さて、児童に対する性的虐待をなくそうという運動は、1980年代、東南アジアなどへの先進国からの「買春ツァー」や、組織犯罪グループが児童を誘拐してポルノを製造する事件などが国際的問題となる中、草の根の市民活動が、世界を動かし、1989年には、国連総会で、「児童の権利に関する条約」が採択されるに至る。

本日のコラムでは、この「児童ポルノ」の問題について触れてみたい。そして、このような世界的運動と並行し、先進国を中心に、「児童買春」だけでなく、「児童ポルノ」を厳しく規制する立法が行われていったわけだが、18歳未満の児童のポルノグラフィー、すなわち、「児童ポルノ」を規制する理由は、大きく2つある。
1つは、描写されることとなった実在の児童への権利侵害を許さないという理由だ。
児童ポルノは、その製造の過程で、児童に対する性的虐待が加えられ、大きなトラウマとなることが多い。
また、それだけでなく、児童が大人になった後も、「画像が存在する」という事実が、やはり、大きなトラウマとなり得る。
2つは、社会全体として、こどもに対する性的虐待を容認する風潮と戦わなければならないという理由だ。
だからこそ、例えば200年前に撮影された児童ポルノ(被写体はもはやこの世に存在しない)は、今でも規制対象となる。
さらに、諸外国では、実在の児童だけでなく、こどもを性的虐待の対象とするアニメやゲームを規制する動きが広がっている。

ところで、わが国における立法措置は、他の先進国と比べるとかなり遅れ、児童買春・児童ポルノ禁止法が成立したのは、児童の権利条約採択後10年を経過した1999年(平成11年)だった。
立法過程では、「児童ポルノ」の定義をどうするかというのが、大きな焦点となった。
ある役所からは、一時、判例の集積もあるので「卑わいな画像」などとしてはといった提案もあった。
ただ、「児童ポルノ」禁止の法益は「児童の権利保護」、「わいせつ物」禁止の法益は「善良の風俗の保持」で明らかに異なる。
「児童ポルノ犯罪」を、いわゆる「風俗犯」と同視させないためにも、「卑わい」という用語は採用せず、わが国の立法技術の範囲内で、できるだけ具体的な定義を置く工夫をしたつもりだ。
そして、具体的には、「性交・性交類似行為を描写」、「性器等を描写」、「衣服を脱いだ姿態を描写」など、これまでの法律用語には珍しい言葉がちりばめられることとなった。
その上で、「医学書は児童の性器等を描写せざるを得ない」、「親が子供の成長の記念にお風呂に入った写真を撮るのは許されるのでは」といった意見に配慮し、「性欲を興奮させ又は刺激する」こととならないものは除外するという限定を付したわけだ。
この「性欲を興奮させ又は刺激するもの」という限定が、一部の民主党議員から、「捜査機関による恣意的取締りにつながる」という批判を受けているようだが、この限定は、あくまで医学書や家族の記録を除くためのもので、性器等を触り触られたりする児童の描写物や、児童の裸の描写物は、基本的に「児童ポルノ」に含めていこうというわけで、そこには何のあいまいさもない。
後に述べるように、民主党の提案は、「性欲」という言葉を使いたくない一心で、「児童ポルノ」の規制対象を、現行法よりも著しく狭め、こどもの保護を後退させる「過ち」を犯している。

平成11年、わが国の児童買春・児童ポルノ禁止法は、当時既に多くの先進国が採用していた「児童ポルノの単純所持禁止」を盛り込まず、比較的緩い規制で発足した。
私は当時、官僚の端くれだったが、まずはわが国なりのコンセンサスありきと思っていたし、大きな前進と思っていた。
そして、当時はおおっぴらに販売されていた児童ポルノ写真集が店頭から姿を消すなど、相当な効果があったと思っている。
でも、最近のネット社会の進展で、わが国発の児童ポルノが、世界に向けて垂れ流されていることに、再び国際的な注目(非難)が集まっているのが実情だ。
また、このような国際的な対面の問題だけでなく、児童虐待、こども被害の犯罪の問題などが耳目を引く昨今、今一度、わが国として、「こどもは社会の宝」という発想を取り戻していくためにも、児童ポルノへの規制強化の問題を、しっかりと議論しなければならないのではなかろうか。
私は、そんな思いから、昨年、単純所持の禁止や、アニメ・ゲームを将来の規制対象とすべきか否か研究を行うなどの内容を盛り込んだ児童ポルノ禁止法改正案(与党案)を国会に提案した。

ただ、残念なことに、改正案は1年以上たっても審議入りすらできなかった。参議院で多数を持つ民主党が、「対案を出すから審議しないでくれ」とストップをかけてきたからだ。
その民主党が、本年3月、ようやく、「対案」なるものを国会に提出してきた。
しかし、その内容は、こどもへの保護を明らかに後退させるもので、正直、目を疑った。

すなわち、規制すべき「児童ポルノ(民主党案では「児童性行為等姿態描写物」)」の範囲が、現行法よりも著しく狭められている。
民主党は、児童が、大人から強制され、どんなにあられもない姿態をとっていたとしても、ぼかしが入り、「性器等が露出」されていなければ、規制対象にせず、野放しにせよというのだ。
民主党は、児童が、その性器等を他人に触られている姿態でも、それが「殊更触る」行為でない限り(軽く胸や股間にタッチするのはOK?)、規制対象にせず、野放しにせよというのだ。
こんな改正(悪?)は、わが国が、児童に対する性的虐待と戦う国際的な枠組みから離脱すべきと主張しているとしか思えない。
私は、もう少しまともなものが出てくるのではと期待していたのだが、彼らは、1年もかけて、何を「検討」してきたのか?
民主党は、本当に、日本のこどもたちを守り、政権を担うための勉強をしているのだろうか?

まあそれでも、「対案」なるものが出てきたことは大いに結構、これまで何度も、国会における議論を申し入れてきた。
私たちは大人は我慢してもこどもの保護を目指し、民主党はこどもの保護を後退させても大人の自由勝手を目指す。この違いを、国民の前に明らかにするためにも、国会は格好の舞台だ。

それだけでなく、議論をすれば、きっと良い知恵は生まれる。
私たちの原案は、児童ポルノの単純所持禁止だ。
でも、しっかり議論した上、段階的に規制を充実・こどもの保護を強化するため、ネット世界の表現の自由を最大限に尊重しながら、今何をやらなければいけないか、これを塩梅するのが、責任政党に所属する私たち政治家の務めと思う。
私は教条主義者ではない。まず議論をすることが大切だ。
また、もしも司法のあり方に問題があるというのなら、問題提起をして、どんどん国会で議論すべきで、これも議論の余地はあろう。
その上で直すべきは直せば良いのだ。
でも民主党は、対案提出後3ヶ月、何故かその議論すら拒否し、これまでに至っている。まさにモラトリアム政党の典型ではないか。

私たちの目的は、日本のこどもたちを守るためことにある。
民主党の皆さんには、自らの欠点を指摘されることを厭がらずに、堂々と、国会の場で、私との議論に応じて頂きたいものだ。