中国と北朝鮮の隠蔽体質~「コンプライアンス」外交の必要性

2006-1-11

在上海日本総領事館員(電信担当)の自殺事件(一昨年5月)が波紋を呼んでいる。

人権・民主主義外交の必要性を訴える

報道を機に公表に踏み切った日本側は、「中国公安当局の遺憾な行為(スパイ行為)」 が背景あったとして中国当局に厳重に抗議。
中国側はこれを全面否定するという構図だ。
かつて在外公館で情報担当の書記官をしていた私の経験からは、中国公安当局による工作はいかにもありそうなこと。
しかも、「公電」と言われる在外公館と本国政府との暗号電信が解読できれば、わが国外交政策の手の内を知ることもできる。
もっとも私は、事実関係の詳細について知る立場にもなく、また、ここでそれを論議するつもりもない。
ただこの事件で、私たちは、中国政府が、「隠蔽体質」の危険を内在する「共産主義官僚による独裁政府」であることに、改めて気づく必要がある。
そして、さらに、日中双方の国民の利益を図るためにも、我々は、「人権・民主主義」、「コンプライアンス(遵法と情報公開)」という、ある意味で普遍的な価値を、東アジア社会に根付かせる努力をするべきだ。冷戦終了後、私達は、世界に、「共産主義国家」、「民主集中制(一党独裁)国家」があることを、時に忘れているような気がする。
しかし、われわれのアジア世界は違う。

経済面でこそ資本主義的開放政策をとるものの、中国はじめ、北朝鮮、ベトナム、ラオスは、共産主義一党独裁体制を堅持している。
ただ、冒頭述べた「隠蔽体質」は、何も共産主義だけの専売特許ではない。
わが国でも、かつての公害問題から、官公庁の不祥事、BSE絡みの食肉偽装事件など、官僚体質が高じると、隠蔽体質が現れる。しかし、日本のような民主主義社会では、与野党、マスコミ、一般国民による監視が期待できることが救いだ。
時間はかかったが、わが国も、組織内部での何らかの不祥事があったときは、何とか穏便にすまそうとするのでなく、むしろ積極的に事実関係を明らかにすることの方が信頼回復につながるという「コンプライアンス意識」が芽生えつつある。
しかし、「一党独裁」、「共産主義官僚独裁」の体制では、民主的なコントロールは期待できない。
だからときに、「自分の思う通り他もできるはず」という発想になる。
例えば教科書問題。かつて、中国の江沢民主席が、韓国の金泳三大統領との会談で、「日本の歴史認識を叩き直してやる」と怪気炎をあげたが、これも、「歴史認識や教科書は、国民がつくるのでなく政府が押しつけるもの(日本ではとても押しつけることができない)」という、彼らの「常識」を示しており興味深い。

最近の中国では、新型肺炎(サーズ)の問題、鳥インフルエンザの問題、化学工場事故による松花江汚染の問題等々、官僚による意図的かつ稚拙な隠蔽が、かえって国際的不信感を招くという事例が相次いでいる。
今回の領事館員自殺事件でも、そんな隠蔽体質がかいま見える。

また、北朝鮮についても、同じようなことが言える。
日本人拉致事件について、金正日政権は、「拉致をしたという事実」において非を認めたように見えるが、注意しなければならないのは、認めたのは、94年まで続いた金日成政権下において行われた行為についてのみということだ。
金正日政権下において、日本人拉致被害者に対し犯罪的な行為が行われなかったのかどうか、彼らは一切答えていない。

このような「官僚国家」、「一党独裁国家」に起こりがちな「隠蔽体質」は、その国民にとっては、大変不幸なことだ。
勿論私は、わが国の政権が外国の政権に対し敵対的な態度をとるべきと言うつもりはない。
ただ、それぞれの国民の人権を守り、政府も民主主義の価値を尊重することは、国連加盟国が共有する普遍的な価値であるはずだ。

日本は、アジア諸国の中で、いずれも最も早く、まず、近代国家となり、次に帝国主義国家となり、そして民主主義国家となった。
私は、領事館員の自殺事件や拉致事件に絡む日中・日朝の問題を、単に国益の対立と捉えてはならないと思う。
この問題の解決を通じ、中国や北朝鮮の当局が、民主主義、さらには、「コンプライアンス」
という価値を受け入れることが、実は中国や北朝鮮の民衆の利益につながるということを、あらゆるチャンネルを通じて訴えていくことが必要だ。
私が今年着手しようとしている北朝鮮人権法案も、このような文脈にある。