国会の「幼児化」を打破しなければ~成人年齢引き下げの議論を放置してきた与党

2012-5-3

国の姿を語らない現在の国政の危うさを訴える

5月3日は現行憲法施行から65年目の憲法記念日。
そして、私が提出者の1人として、長時間の国会答弁等を行い成立にこぎつけた憲法改正国民投票法の施行(平成19年)からも、既に約5年が経過しようとしている。
ただ、現在の国会を見ると、まともに国の姿を考える哲学を持った政治が行われているとは言いがたく、憲法論議は、なおざりにされている状況だ。
実は、憲法改正国民投票法では、施行後3年(平成22年5月)までに、国民投票の投票権年齢を18歳以上とするのにあわせ、成人年齢引き下げについての必要な法制上の措置をとることなど、いくつかの「宿題」を国会に義務付けていた。
しかし、民主党政権下、検討の受け皿となる「憲法審査会」の設置は遅れに遅れ、憲法改正論議はおろか、法律により国会の義務とされた「宿題」の議論すら、全く進まないままとなっている。
今回のコラムでは、成人年齢引き下げの議論について書いてみたい。(民主党側の提案だった「成人年齢引き下げ」)

憲法改正国民投票法は、衆議院段階で、自公案と民主党案の2案が国会に提出されたが、投票権年齢や成人年齢を18歳に引き下げるとしたのは、私たちの自公案でなく、民主党案の方だった。
諸外国の成人年齢や選挙権年齢は、20歳以上でなく、18歳以上が大勢であるというのが、当時の民主党提案の主な理由であった(もっとも、政権をとったとたん、自ら提案した成人年齢引き下げの検討すら行わなくなってしまう民主党の姿勢を見ると、本気で提案していたのかどうか疑わしい。)。
憲法改正国民投票法については、衆議院段階で、自公案と民主党案を統合し、共同提案とすべく、担当者レベルで、ぎりぎりの折衝が続いていた(この努力は、当時の小沢民主党代表による最終段階での「ちゃぶ台返し」で、結局水泡に帰すこととなるが。)。
その過程で、当時の与党側は、憲法改正国民投票法の成立を第一義に考え、民主党案をほぼ飲み、①国民投票の投票権年齢を18歳以上とする。②成人年齢引き下げについて、施行後3年以内に必要な法制の措置をとる。ことを法律に明記することとし、自公両党それぞれの党内手続きに入ったわけだ。

(「成人年齢引き下げ」検討の積極的理由)
ただ、党内の了解を得るには、「民主党が言っているから」では当然ダメで、しっかりした理由づけをして説得しなければならない。
しかも当時、成人年齢引き下げに関しては、自民党内で積極的な意見は少数派だったし、国民投票法に関する大学での対話集会でも、当の学生たち自体が、「成人年齢を無理に引き下げなくても」といった意見を持っているという報告も受けていた(私は、日本の若者自身が、「成人年齢を引き下げなくてもよい」すなわち、「早く大人になりたくない」と感じていることに、少なからずショックを受けたのを憶えている。)。
党内手続の中で私が主張した理由は主に2つだ。
1つは、本格的人口減少社会が到来する中で国の姿を語る場合、例えば年金問題など、世代間が対立する問題が必ず出てくる。そうしたときに、より多くの世代の意見が反映される仕組みを作ることが大切ということ。
2つは、良く、「日本の若者は幼い、モラトリアム人間だ」などと言われるが、国際社会の荒波の中でわが国が生き残るためには、これを払拭し、自律できる若者を育成することが必要で、そのためにも、若者自身が自分の国を創ることを法律上も明らかにし、公民教育にしっかりと生かしていくことで、「決められる若者」を育むことに資するのではということだ。
当時の議論は、平成19年6月、「国造りの主役は若者~政治的モラトリアム人間の誕生防止を」と題する論考を毎日新聞に寄稿している(私のHPのコラムにも掲載)ので参照いただきたい。
こうした経緯で、自民党内でも、成人年齢引き下げの検討を、国民投票法成立後3年までに行い、必要な法制上の措置をとっていこうということになったわけだ。

(見事な不作為~与党議員こそが「政治的モラトリアム人間」)
ところが、平成19年7月の参議院選挙で民主党が参議院の多数を握った途端、民主党の反対で、憲法審査会の設置はされないまま、この成人年齢引き下げの検討は、ストップしてしまった。
当時私は、憲法審査会担当の自民党国会対策副委員長を務めていたが、政権奪取のためなら、審査会設置も、国会同意人事も、公党間の約束も、何でも反対し、反故にする小沢民主党の徹底ぶりに、大変勉強させられた。
このようななりふり構わぬ戦術が功を奏し、平成21年8月の総選挙で民主党が大勝、衆参両院で多数を制することとなった。
そして、ようやく、民主党のかねてからの主張であった成人年齢引き下げの検討を行う環境が整ったわけだが、今に至るまで同党内の議論はまとまらず、議論は一向に進んでないのはご案内の通りだ。
これでは、「成人年齢引き下げ」の提案が、公党のまとまった意見でなく、当時の民主党の担当者による思いつきの主張でったのかと勘ぐりたくなるし、その提案を本気で受け止め、「政治的モラトリアム人間の誕生防止のために真剣な検討が必要」と、自民党の同僚議員を説得して回った私たちの努力は、いったい何だったのだろうという思いも強い。
いずれにせよ、政権交代後の見事な不作為は、現在の与党議員こそが「政治的モラトリアム人間」(決められない先延ばし人間)であることを露呈したといってよい。
私たちは、「若者の幼児化」への対策を講じるより先に、まずは、「国会の幼児化」を打破しなければならない。
そうしなければ国が危うい。
そのためには、今の国会のメンバーを早急に取り替えることが何よりも必要なのではないか。