改革の停滞が招いた「原子力規制庁」設置の混乱~退歩する日本の政治

2012-5-18

原子力規制組織のあり方を訴える

福島第1原発の事故を受け、原子力行政を担う新たな機関として民主党政権が、本年4月1日からの発足を目指していた環境省の外局、「原子力規制庁」の設置が遅れに遅れている。
報道によれば、民主党は、より独立性の高い「原子力規制委員会」(国家行政組織法に基づく3条委員会)を設置すべきという自民・公明両党が提出した対案を、ほぼ丸のみする形で決着する見込みとのことだ。
論点は、組織の独立性をどう確保するか、原子力規制行政の一元化をどのように確保するか、原発事故発生等の非常事態時の対処をどうすべきかといった点だが、「3条委員会」などという、一般にはなじみのない用語が飛び出すなど、必ずしもわかりやすい議論がされているようには思えない。
そこで、かつて私が、自民党行政改革本部の中央省庁改革委員会主査として議論してきたことも踏まえ、今回の混乱について触れてみたい。(3つのポイント)

原子力規制を担う組織のあり方については、雑ぱくに言って、3つのポイントがあると思う。
1つは、現在、エネルギー政策担当部門(資源エネルギー庁、これまで原子力発電を推進)と原子力規制部門(原子力保安院)が、いずれも経済産業省に置かれており、チェック機能が働いていないという指摘にどう答えるかということ。
2つは、原子力の安全性の判定を、誰が担うかということ。
3つは、非常事態等が発生したときに、原子力規制部門は、他の行政部門との関係で、どのような地位を持たせるべきかということ。
1つ目の、エネルギー政策担当部門と原子力規制部門を別の省庁が担うべきという点では、与野党とも一致していたようだが、それ以外の点が大きな問題となった。

(原子力の安全性を判定するのは誰か)
まず2つ目のポイント。
政権交代以来、民主党による「誤った政治主導」が続いているが、原発再稼働の場面における原始力の安全性の判断についても、「政治主導」はいかんなく発揮された。
先月、総理、官房、経産、環境の4大臣(自称「原発の専門家」の菅前総理と異なり、いずれも原子力問題の素人)が徹底的に鳩首協議し、原発の安全性判定の新基準を策定、大飯原発の再稼働に進もうとしているが、これでは国民の納得が得られようはずがない。
同様の考え方で、民主党は、原子力規制を担う組織についても、政治家である環境大臣直属の「原子力規制庁」の提案を行ったが、これもやはり、いささか危険なような気がする。
そもそも、原子力の安全性の判定に、政治が介入すべきではない。
安全性が確保されなければ、たとえ電力不足が生じようと、原発再稼働への関係自治体や国民の支持は得られないだろうし、その安全性の判断は、専門的な知見に基づき、客観的に行われるべきだ。
自民・公明両党の提案は、原子力の安全性の判定を、政治家である環境大臣から独立させ、専門家からなる合議制の委員会に委ねるというもので、ある意味で当然の提案と思う。
民主党側は、合議制の委員会は、大事故が発生した場合の機動性に欠けると主張するが、事件事故に対応する合議制の委員会としては、既に、国家公安委員会、証券取引等監視委員会などがあり、対応がスピーディーに出来るかどうかは、委員会か大臣直属かという組織の形ではなく、組織運営の問題のような気がする。

(自民党中央省庁感覚委員会での議論~「総合調整」について)
さて、私は、2007年2月、自民党行革推進本部に置かれた中央省庁改革委員会の主査に就いた。
2001年の中央省庁再編から6年を経過し、その問題点を検証し、必要な提言を行っていこうというもので、詳細は省略するが、各省庁から膨大なヒアリングを行った。
その中で私が感じたのは、「総合調整」という権限の大切さだ。これは、例えば、わが国が重大な事態に直面したり、大きな政策課題を持ったとき等に、その問題についての「総合調整」を担う役所が元立ちとなって、関係省庁との調整を行い、行政組織が一体となってことに対処することを可能にする権限だ。
ただ、中央省庁再編後6年を経て、この権限のあり方が、いささかいびつになりつつあった。
中央省庁再編以前は、大臣をトップとしつつ、このような「総合調整」を担う役所が、総務庁、科学技術庁、国土庁、経済企画庁、環境庁など、いくつも存在したが、これらの「庁」が「省」に大くくりされる中で、「総合調整」の権限は、唯一「内閣府」という役所のみが持てることとなった。
ところが、原子力の安全のみでなく、経済財政、行政改革、規制改革、安全保障、食品の安全、少子化対策、青少年対策等々、「総合調整」が必要な課題は枚挙にいとまがない。
このため、中央省庁再編以降、何か問題が起きるたびに内閣府に「総合調整権限」が追加されることとなったが、内閣府の職員が爆発的に増えるわけでもないし、内閣府の職員が新たに総合調整を行うこととなった事務についてのプロであるはずもなく、当時、私自身、「総合調整」がうまく機能していないという印象を持った。
だから私は、中央省庁改革委員会として、内閣府以外の各省(今回の事例の場合は環境省)も、特別な場合に、総合調整権限を持てるようにし、この場合、総理大臣と直結で意思疎通を図ることができるような仕組みを検討すべきという提言を行う準備に入った。
ただその矢先の2007年7月、参議院選挙で自民党が敗北、その後2年、衆参ねじれ国会の中で中央省庁改革は停滞し、私自身、国会対策副委員長に転じ、小沢民主党との不毛な与野党激突の最前線に立たざるを得なくなってしまった。

(少なくとも「総合調整権限」を持たせるべき)
3つ目のポイントについて考えるに当たり、5年前の議論が、原子力規制を担う組織作りに生かされていたならばと、つくづく思う。
原子力に関する重大事故が発生した場合、原子力規制を担う組織が、他の行政組織との関係で、「総合調整権限」を持つべきであることは、これまでの論考からも明らかと思う。
しかし、現在の仕組みでは、この組織が環境省に置かれた途端、「総合調整権限」は持てず、内閣府に置かれれば、これまでの「機能しない総合調整」の延長線上の組織となってしまう可能性がある。
だとすれば、5年前の議論を踏まえ、「総合調整」を「内閣府」のみが持つという仕組みを見直し、原子力規制を担う組織に、総合調整権限を持たせるべきということだと思うが、残念ながら、このような議論が行われた形跡はなく、今回の組織も、その意味で中途半端なものとならざるを得まい。

(退歩する日本の政治)
今回のコラムは、少し分かりにくい議論を取り上げた。
一部には、「『総合調整』なんて役所の権限論どうでも良いこと」という考えもあるかも知れない。
ただ、わが国が法治国家である以上、法律的な責任の所在を明らかにすることは大切で、責任の所在を明らかにしないまま今の与党議員に政治行政を委れば、ますます無責任体質が昂進するだけだ。
それにしても、今国政に携わる議員の方々は、これまで国会や政党内で、各種の諸課題について議論してきた蓄積を全く知ろうとせず、むしろ小賢しい議論とバカにしながら、思いつきでことを進めようとしているように思えてならない
これでは、日本の政治は退歩するだけだ。