参議院選挙の審判に思う

2004-7-12

参議院選挙の審判に思う

参議院選挙の審判が下った。自民党49議席(改選前51)、民主党50(改選前38)という、自民党にとっては極めて厳しい結果だった。

私は、さきの国会で民主党の年金改革案の余りのお粗末さ(年金は要は負担と給付のバランス。これを無視して「一元化」のお題目を唱えても、何の解決にもならないし、かえって年金財政を破綻に導くだけ。)を目の当たりにしていたから、現在の民主党に、とても政権担当能力があるとは思えない。ただ、衆院段階では、国民負担増とならざるを得ない政府の年金法案の成立に合意していたにもかかわらず、選挙では、掌をかえしたように政府を批判すれば、それは有利だろうし、民主党の議席も増えよう。だからこの選挙、争点という意味では、ちょっとフェアでなかったようにも思う。

しかし、自民党の方に問題がないわけではない。やはり説明が足りない。

国会で、今の民主党のふがいなさ(昭和55年体制下の社会党に比べ、政策能力は格段に低いという評価がもっぱら)を見て甘く見たのか、「国民は、あんな民主党に政権を委ねるはずがない。やることさえやっていれば国民はついてくる」という姿勢がないでもないような気がする。しかし、丁寧な説明もなく信じろでは、国民も眉つばではと疑ってしまうこともあろう。その意味で、この厳しい審判は、真摯に受け止めるべきである。

「政治」は、言葉の技術でもある。政策ももちろん重要だが、国民に対し、いかに分かりやすく説明するかと言うことも極めて重要なはずだ。特に、現在のような情報化時代において、情報の発信と説明にもっと重きを置くべきと思う。そして、そのような方向に自民党も変えなければと思う。

テレビで参院選の開票を見ながら、昭和34年生まれ、44歳の私、葉梨康弘自身が、大きく自民党を変える力となっていかなければならないと、決意を新たにさせていただいた。